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日本国民による小山田圭吾への集団リンチに関する私的メモ

さて、オリンピックも始まって小山田圭吾を叩きまくってた人たちも何事もなかったかのように次の話題に飛び移った。ここらあたりで、あの醜悪な日本国民による小山田氏のバッシングを振り返ってみたい。

正直言ってわたしは小山田圭吾の大ファンというわけでもないし、大炎上中に養護する発言をして自分も燃えるのは嫌だな、と思っていたビビリだ。それでも定期的に起こるあの手の集団リンチは本当に嫌いなので、ほとぼりが冷めた今になってチクリと一言言ってやりたい。

まず前提として、オリンピックだけでなくパラリンピックの開会式も兼ねているのだから、小山田圭吾はオファーを請けるべきではなかったし、IOC/JOCもオファーするべきではなかった。自ら地雷原へ突入していった小山田氏の自業自得の失敗という見方もできる。

しかし、それにしても数十年前の不祥事をあそこまで国民一丸となって叩きまくるメンタリティははっきり言って気持ち悪い。わたしの目には大同小異の業の深い人生を送ってきた者ほど自分の過去を棚に上げて叩きまくっているように見えた。

「おまえら現在進行系でイジメしてるじゃん。気がつかないの?」

というのがわたしの第一印象だった。

「いくらでも叩いても良い奴を見つけ出し、そいつを叩くことで多数派グループにおける自分の立場を良くする」

それがイジメの背景にあるメンタリティなのだと思うが、全国規模でまさにそういう状態だった。

そして人は自分にとって都合の悪いことはすぐに忘れる。たとえば人を虐めた経験と人に虐められた経験の両方がある人間は、自分が被害者だった経験しか覚えていないケースが圧倒的に多い。だからこそこういうことが度々起こる。

胸に手を当ててよくよく考えてください。あなたは大上段に構えて他人を糾弾していますが、本当にそんなに立派な人間ですか? 自分もいろいろと不味いことをしてきたのではないですか? と問われて、「まぁ、わたしもいろいろとやっちゃったかな・・・」と少し反省したとします。

実際にはその時に反省した分の3倍ぐらいはやってます。それぐらい人間の記憶というのは自分に都合の良いようにできている。もし不徳な行為は一切していないというのであれば聖人ですが、聖人は集団リンチ的な醜悪なイジメをしませんから、あなたは聖人ではありません。単に自己反省能力が全く無いだけです。

自分のことを疑ってみる能力って大事ですよ。

何もしなければ40万人死亡という説は大嘘だったのではないか?

『何もしなければ国内で40万人死亡』というセンセーショナルな見出しが踊ったのは4月15日のことだ。この記事を書いているのは5月11日なので、いまこういう記事を書くのははっきり言って後出しジャンケンだ。西浦教授を非難するつもりはない。

この40万人という数字は欧米での数字を参考にして算出したと思われるので、アジアにおける死亡率が著しく低いことがほぼ明らかとなった今、もはや意味はない

当時は「ロックダウンしないと東京ではニューヨーク以上の死者が出る」と海外在住の方々が警告していて、本気でそれを信じた人も多かった。そういう空気があったので仕方がない面もある。

「なぜ中国に近く中国人の来訪もより多いはずの東京のほうがニューヨークよりも数週間遅れるんだ?」という疑問は持っていたし、当時から「BCG予防接種が効いている仮説」等は存在していたので、私自身は半信半疑だった。

とはいえ「最良を望みつつ最悪に備える」のが政治の基本だろうから、ゴールデンウィークまでの非常事態宣言と自粛は当然だろう、という考えだった。特に私が住んでいる山中湖村はゴールデンウィークと夏休みが圧倒的にハイシーズンで、来訪者の数が一桁増えるぐらいだし、同居している家族が小売業で働いていることもあって、私もピリピリとした空気にやられて、かなり警戒するようになった。

しかし、5月に入ってGWも後半に入ったあたりから、「いくらなんでも死者の数が少なすぎる。そもそもこのCOVID-19は本当に言うほど危険なものなのか?」という疑念が強まってきた。それと同時に、ひょっとしたら日本政府が死者数をごまかしているのではないか? という疑問も持った。

しかしながら、5月4日に書かれた「超過死亡数」に関する記事を読んで、日本においては肺炎とインフルエンザを死因とする死者数自体はむしろ減っていることがわかった。政府はCOVID-19の死者数をごまかしていない

ということは政府により発表されている新型コロナウィルスSARS-CoV-2による死者数は概ね正しいということになる。むしろ、「死亡数÷総検査数」が0.1%未満になるシンガポールあたりのほうが数字は怪しいような気もする。

冷静になってくると、検査する人数や基準が一定ではないので、発表される感染者数や陽性率に一喜一憂する意味はあまりないことがわかる。日本を含むアジア地域での死者数が欧米と比べると著しく少ないことを考えると、今いちばん大切な指標は【抗体保有率】ではないだろうか。

抗体を保有しているということはすでに感染したということを意味する。統計学的に有意な数の一般人を無作為に抽出して、抗体保有率を調べれば、最終的に集団免疫を獲得するまでに犠牲になる人数がわかる。本当に40万人が亡くなるのであれば、スウェーデンと同じように集団免疫獲得を目指すという政策は愚策という意見が多いだろう。が、実際の死亡率が欧米と比べて著しく低い可能性が高いのだから、スウェーデンと同じことをしても死亡率は著しく低いはず。日本を含むアジア地域ではこの政策のほうが賢いかもしれない。

たとえば現時点での免疫保有率が10%で最終的な集団免疫のゴールが60%だとすると、最悪の場合でも4000人ていどの犠牲者で集団免疫が獲得できることになる。これはインフルエンザの死亡数と大差がないので、いまの自粛は明らかに馬鹿げた過剰反応だと言える(これは単純な掛け算で算出しました。もしこの考えが根本的に間違っているならば指摘してほしい)。

逆に免疫保有率が1%しかないとしたら、最悪の場合の死者数はその10倍の4万人ていどになるはずなので、より慎重な対処がもとめられるだろう。だが、それにしても40万人死亡という数字には程遠い。NYCでの免疫保有率が20%と言われているので、0.1%というのはどう考えても無さそうだ。

もちろん、ひとりひとりの人生は尊いもので、単なる数字ではない。だが、現実的に少数の老人の命を延命するために日本中の現役世代や子供が犠牲になるというのは異常な話だ。真面目に自粛している老人が大半なのだろうが、遊び歩いたり、店などで怒鳴り散らしている老人を見かけるとそのような思いは一層強くなってしまう。

こう言うと、若者が死亡することもあるという反論があるが、日本ではまだ30歳未満の死亡例がない(5月8日時点)。東洋経済の提供するデータをもとにすれば93%が60歳以上、82%が70歳以上、57%が80歳以上だ

また、自粛を正当化する根拠となっていることの一つに医療崩壊の懸念があげられる。用語だけが独り歩きしている感もあるが、これは要するに「感染症に対応可能な病床数が限られているのに、多数の感染症患者が送り込まれて、病院の感染症科が機能しなくなる」ことを意味し、それ以外の医科については、深刻な院内感染等が発生しない限り医療崩壊しない。

医療従事者が医療崩壊を懸念するのは当然なことで、「どの命を助けてどの命を見捨てる」という決断を押し付けられるのは嫌に決まっている。このため自粛しながら感染の流行を抑制し、感染症に対応可能な病床を増やしていた。私も4月末まではそれが当然だと思っていた。しかし、医療崩壊を懸念するにしても、5月末までの非常事態宣言の延長はいささか大袈裟すぎると思う。

医療従事者の立場で見ればまだまだ病床数は十分ではないのだろう。が、これは結局のところ、延命治療を是として、何が何でも病院に担ぎ込まれた命は全力で助けなければならないという日本の医療ポリシーにそもそもの原因がある

臭いものに蓋をして、日本は現代社会に適合した死生観を確立することができずにきた。後期高齢者の延命治療の是非、終末期医療の重要性、尊厳死や安楽死の是非などについて本格的な議論が行われなかった。

スウェーデンのように自力で食事を取れなくなった人間はICUで治療をしないというスタイルが確立していれば医療崩壊は起きない。80歳以上は重篤化した場合の致死率が88%で、ICUの占有率(死亡+重篤の合計数ベースで算出)が38%だ。つまり、ICUを占有している時間は長いのに、処置してもまず助からない。重篤化した80歳以上の新型コロナウィルス患者はICUを使わない、と決めただけでも病床数に+38%の余裕ができるので、医療崩壊はほぼ起きないはずだ。

5月8日時点での年齢別データ。調査中や非公開もあるので合計数は他のデータと異なる。

これは非情な決断だろうか? 私が80歳以上のCOVID-19患者だったらそれでも構わないだろうと言えるだろうか? 今は言えても実際に80歳になったら言えないかもしれない。それぞれの年齢や家族構成等により考え方は異なるだろう。しかし、老人から順に亡くなっていくほうが自然な社会であることは間違いない。

この決断をするだけで過剰な自粛は必要なくなる。三密回避、手洗い、マスク着用の徹底だけで、後は普通に今まで通りの生活をしても医療崩壊は起きないはずだ。またこのような基本的な感染対策を徹底するだけで、実効再生数(ひとりの感染者が移す人数)は下がるはずだから、集団免疫獲得のゴールも60%以下になるはずだ。

神戸市立医療センター中央市民病院が、外来患者の約3%から新型コロナウイルスに感染したことを示す抗体を確認したと発表したのが5月5日。この時点での日本におけるCOVID-19の総死者数が543名。病院の外来患者なのと神戸という都市部におけるデータだということを勘案して、日本の全体のその時点における感染率が1〜2%程度だとしても、集団免疫の獲得に至るまでの死亡数は15,000人〜30,000人程度だと予測できる。

もちろんWHOが警告しているように、現時点では抗体を獲得しても十分な免疫力が得られる保証はない。が、逆に言えば抗体を獲得してもふたたび感染する可能性が高いということが確認されたわけでもない。ふたたび感染する可能性が高かったら、そのような事例が多数報告されているだろうから、抗体獲得後にふたたび感染する可能性はあったとしてもあまり高くないだろう。

この15,000〜30,000という数字は神戸市立医療センター中央市民病院が発表した偏ったケースにもとづいているので、信頼性はあまり高くない。10,000~50,000ぐらいまで幅を広げて考えたほうが良いかもしれない。が、いずれにせよ40万人死亡ということはほぼ絶対になさそうだと言える。

つまりインフルエンザよりはたちが悪いが、少なくともアジアにおいてはスペイン風邪のような絶望的なパンデミックではない。犠牲者の大多数が高齢者なのを勘案すると、たとえこの数字が最終的に50,000人になるとしても、いまの反応はいささか過剰であると思う。

なにしろ去年一年間で日本では137万6000人が死んでいて、この数はコロナ禍がなくても毎年一万人以上増えている。そこに1万から5万人程度の高齢者が加わるのを全力で阻止するために、このような自粛を続けるというのははたして合理的な行動なのだろうか? 国や県に要請されたとおりに自粛生活を続けているが、その合理性には甚だ疑問を感じるようになってきた。

より正確な予測を出すために、国や自治体が率先して、統計学的に有意な抗体保有率を調べて、できれば週次で情報更新してもらいたい。

感染症のプロの意見だけ聞いていれば良いフェーズは終わった。これから経済的な悪影響を最小限に抑えた上で、効果的に感染拡大を予防しながら、経済活動を行う上での最良の妥協点やライフスタイルの獲得がプライオリティになるはずだ。

もはや日本の命運はGWの天気次第か!?

先日の局地的大雪で梨ヶ原が真っ白になった富士山。2014年の大雪以来かもしれない。レアな光景なので撮りに来る人が増えないように、雪が溶けてから公開。

非常事態宣言が全国に拡大されたが、そんなものお構いなしで多くの人が山中湖村にやってきていた。今日は天気が良かったからだろう。山中湖畔の長池の駐車場は県外ナンバーで満車状態だった。みなさん一体なにをしているんだろうと、観察してみたところ、どうやらジョギングやウォーキングをしている人たちが多い。

おそらく都会ではのびのびと散歩やジョギングすらもできないのだろう、と想像するに、ちょっと同情もする。が、やはり今は来てほしくないというのが本音だ。

バイクでのツーリングの人もたくさんいた。中には20台ぐらいの大きなグループがいて、そんなグループや多数の県外ナンバー車が特定のコンビニに密集しているのを見ると、山中湖村で感染が広がるのも時間の問題だと思う。

外でのびのびと運動したい、天気が良いのでバイクで遠出したい、という気持ちはわかる。が、地元の住人としては不安になる。富士北麓で救急対応できる病院は富士吉田市民病院と河口湖の山梨赤十字病院しかない。他の病気や怪我の人もICUが空いてないがゆえ、助かる命も助からないという状態にすぐに陥ってしまう。私はわりと健康なので自分のことは心配していないが、家族が心配だ。

第一回自粛が予定通りに終わるかどうかは、結局GWの天気次第だと痛感する。晴天が続くようだと感染爆発が起こるのは間違いないだろう。その場合は、多数の命が犠牲になり、そのまま梅雨が終わるまで自粛期間が伸びることになると思う。

諸般の事情により、政府は強制力のある規制を出せないようなので、もはや祈るしかない。日本の命運がお天気次第とは、なんともやりきれない話だ。非常時にもう少し強制力のある規制を打ち出せるようにすべき、という意見が説得力を持つのは不可避だろう。

自粛しない人間を口撃する人がいて、このような日本特有の同調圧力が嫌いという意見がある。そういう人たちは正義警察や不謹慎厨と揶揄されることもある。

日本特有の同調圧力は私も嫌いだ。だが、今回の件は自粛要請を無視して遊んでいる人が多いほど、真面目に自粛している人間が長い期間の自粛を強いられる。自分の不利益に直結するのだから怒って当然だと思う。

医療従事者だったらなおさらだろう。自粛要請を無視して遊んでいる人が感染して担ぎ込まれてきても、治療しなければならない。しかも、自分の感染リスクは増すし、家族が差別を受けるような事例すら出ている。もうやってられないと、辞めても責めることはできないが、辞める人が増えるとより深刻な医療崩壊が起こり、残っている人たちがより劣悪な環境で従事しなければならなくなる。だから真面目な人はやめたいと思ってもやめられない。

つまり真面目な人間が損をして、遊び呆けている人間の尻拭いをしなければならないという事態なのです。

今回の自粛しない人への口撃は、たとえば天皇が崩御した際に遊んでいる人たちを非難するのとは根本的に性格が異なる。尊王思想の持ち主であれば、そういう人たちに気分を害されるだろうが、別に自分の収入が減ったり、命の危険にさらされる心配はない。ただ感情的に受け入れがたい行為を批判していたこれまでの不謹慎狩りとは違う種類です。だからみなさん自粛しましょう。

自分にできることをしっかりやってあとは祈るしかない。そういう状況ですね。

2020年4月19日に投稿

朝日新聞の見出し詐欺がひどい

私はいわゆる右翼ではなく支持政党なしの人間です(選挙には行ってます)。朝日新聞については左寄りの立ち位置にあるそれなりに権威のある新聞だと認識していました。が、最近はあまりにも見出し詐欺的な行為がひどいのでニュースソースとしての評価を大幅に下げました。そのように考える契機となった記事を2つご紹介します。

年金開始75歳法案、14日審議入りへ 「緊急事態」も先送りせず

『年金開始75歳法案、14日審議入りへ 「緊急事態」も先送りせず』という見出しを読んだだけでは、年金をもらえるのが75歳からになってしまう! と思いますよね。私もそう思って政府にたいする怒りがこみ上げてきました。リンク先の無料で読める記事の内容を読んでもあまり印象は変わりません。

が、実際には「支給開始年齢を75歳にすることもできるようにする」という改正のための審議です。基本はいままで通り65歳からの支給のままです。70歳または75歳からの支給を希望すれば、支給開始が遅れる代わりにより高額の年金を受給できます。これ、明らかにミスリーディングを狙っていますよね。

日経は「年金受給開始75歳 改革法案が審議入り」という見出しです。こちらのほうが誤解を与える可能性は遥かに少ないでしょう。


「外出自粛、22年まで必要」 米ハーバード大が予測

この記事も意図的に扇情的な内容に翻訳しています。ハーバードが寄稿したレポートはこれなので英語ができる方は読んでください。

https://science.sciencemag.org/content/early/2020/04/14/science.abb5793

Abstract
It is urgent to understand the future of severe acute respiratory syndrome–coronavirus 2 (SARS-CoV-2) transmission. We used estimates of seasonality, immunity, and cross-immunity for betacoronaviruses OC43 and HKU1 from time series data from the USA to inform a model of SARS-CoV-2 transmission. We projected that recurrent wintertime outbreaks of SARS-CoV-2 will probably occur after the initial, most severe pandemic wave. Absent other interventions, a key metric for the success of social distancing is whether critical care capacities are exceeded. To avoid this, prolonged or intermittent social distancing may be necessary into 2022. Additional interventions, including expanded critical care capacity and an effective therapeutic, would improve the success of intermittent distancing and hasten the acquisition of herd immunity. Longitudinal serological studies are urgently needed to determine the extent and duration of immunity to SARS-CoV-2. Even in the event of apparent elimination, SARS-CoV-2 surveillance should be maintained since a resurgence in contagion could be possible as late as 2024.

『救急救命診療のキャパを超えないようにするために、ソーシャルディスタンシングを2022年まで延長あるいは散発的に実施する必要があるかもしれない』というような意味です。Abstractというのは要旨のことです。ぶっちゃけぜんぶ読む気はしないので私もここだけ読みました。

この内容を「外出自粛、22年まで必要」という見出しで紹介するのは明らかにミスリーディングを狙っていると言えます。social distancingイコール外出自粛ではないし、原文では『may be necessary』と言っているのに、必要と断言しちゃっている。この記事を読んで、というか見出しだけ見て、2022年まで今のような生活をするなんて耐えられない! という人が続出しています。それって世の中のために良いことなのでしょうか? 甚だ疑問です。

短期間ではアクセスを稼げるでしょうが、こういう行為を続けていれば長期的には信頼を失うでしょう。正直言ってこんなニュースサイトだったら私でも作れるわけで、右と左のサイトを1つずつ作って、それぞれを扇動すればそれだけで広告収入だけで食べられるのかもしれません。

フェイクニュースサイトとまでは言いませんが、中立な人間の情報ソースとしてはまったく役に立たないレベルになりつつあります。自分の感情を満足させるために偏った情報だけインプットしたい人には良いでしょう。

クリックベイト系のタイトルを付けることでアクセスを稼ぎ、広告収入を増やしたいという意図は理解できますが、すでに一線を超えてしまっているのではないでしょうか?

社説等で左寄りの意見を展開するのはまったく構わないのですが、扇動目的の嘘や誇張ばかりが見出しになるようならばもはや存在価値はないでしょう。

持続化給付金のまとめ(フリーランス編)

・2020年1月-12月の間に前年同月比で売上が50%以下の月がひと月でもあれば対象
つまり、4月の時点で申請できなくても今後影響が出て売り上げが半減した場合は申請できるということです。

・給付金は最大で100万円
計算の仕方は後述しますが、本業でやっている人はたいてい満額の100万円もらえます。

支給される額は「前年の総売上」から「前年同月比で50%以下の売上の月の売上 x 12」を引いた金額、または100万円の小さい方です。

たとえば去年1年間の売上が250万円、去年3月の売上が20万円で今年の3月の売上が10万円だった場合、250万円 – (10万円 x 12ヶ月) = 130万円となる。この場合100万円を超えるので、100万円の給付金を申請できる。

・申請はまだ先。4月最終週にWebメインで受け付ける予定。
窓口に殺到したら感染原因となるので当然といえば当然ですが、オンラインでの受付をメインにするとはなかなか日本政府も頑張っていると思います。

・必要書類は以下の3つ
①本人確認書類、
②2019年の確定申告書類の控え
③減収月の事業収入額を示した帳簿等

毎年、年が明けてから一生懸命帳簿をつけている人も、すぐに申請できるように第1四半期の帳簿付を完了させて待っていたほうが良いでしょう。

4/28追記:
➂については売上台帳だということが判明しました。

通帳の写しも必要になるようなので、いまのうちにスキャンしておいたほうが良さそうです。
地元県議会議員の情報によると5/1から受け付ける可能性が高いようです。
https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/kyufukin_kojin.pdf
https://www.meti.go.jp/covid-19/jizokuka-kyufukin.html

・ご相談は0570ー783183(平日・休日9:00~17:00)

私はすでに売上半減の月があるので、100万円申請できます。申請解禁と同時に動けるように準備して待つことにします。

日本政策金融公庫のほう(借金)は先月30日に申請したけどいまだ音沙汰なし。最悪、価格が暴騰しているスイッチとリングフィットアドベンチャーをヤフオクかメルカリでさばくかな・・・(;´∀`) 売っても転売じゃないよ。純粋にダイエット目的で買ってクリア寸前ですから。

これがもらえたら本当にありがたいです。みなさん頑張って生き延びましょう。

ソース情報

この記事は2020年4月13日に書きました。

岩田健太郎氏による告発と高山義浩氏の反応に関する私見

岩田健太郎氏によるダイヤモンド・プリンセス号の感染症対策の不備を批判する告発動画がいま世間を騒がせています。あまりにも騒動が大きくなった結果、岩田氏本人は動画を削除してしまったようですが、他のYouTubeチャンネルで見ることが出来ます。

岩田さんは英語でも同じような内容の動画を作成していて、BBCなどが放送しています。英語は日本語なまりですが十分に通じるし、流暢(fluent)で、インテリらしく語彙も知的ですね。

岩田氏の主張を要約すると、ダイヤモンド・プリンセスの船内での感染症対策は全くできておらず。感染症対策における基本であるグリーンゾーン(安全地帯)とレッドゾーン(危険地帯)の区分けも不明瞭で、とても危険な状態。「シエラレオネよりひどい」という衝撃的な発言も飛び出しています

この岩田氏がダイヤモンド・プリンセスに入ることができるように便宜をはかったと見られる厚労省の高山義浩氏がFaceBookに反論を書いています。一般投稿で誰でも読めます。

こういう時はどちらか一方の主張をうのみにするのではなく、なるべく多数の人の意見を訊いた方が真実に近づける、と私は思っているので、高山氏の反論も読みました。感情的にならずに書いていて、好感の持てる文章です。

高山氏の反論はいきなり「まぁ、岩田先生らしいなぁ」で始まっている点に私は注目しました。つまり高山氏は岩田氏の性格を知った上で、つまり、こういう出来事が起こりうる可能性をある程度予測した上で、あえて呼び寄せた、ということです。

それは岩田氏がこの道では日本でトップレベルのスペシャリストであることを考えれば当然といえば当然ですが、岩田氏を呼ぶことでこの問題に一石を投じたかったのかもしれません。一石というよりも文字通り岩だったようで、投じて出来たのは波紋ではなく津波だったのはちょっと計算違いだったのかもしれませんが。

また「シエラレオネのほうがよほどマシ」という岩田氏の指摘に対し、高山氏が「シエラレオネにおいて、先進国が運用する医療センターのことだと思います。最貧国の市中病院の感染管理の悲惨さと同一視させることのないようにお願いします。」と答えている点も注目に値します。これはつまり、「最貧国の市中病院よりはマシだが、先進国レベルの対応は出来ていない」という事実を高山氏が暗に認めているようにも受け取れます。

高山氏は理想的とはとても言えない状態であっても、たとえ上がひどく無能であっても、その中で最善をつくすべきだというような考えなのだと思われます。一方、岩田氏は中に入ってあれこれと問題点を指摘したために煙たがられて外に放り出された、という印象があります。

そこで浮上しているのが「岩田氏はコミュ力が無い」説で、彼のことを直接知っていると思われる人間が上記のようなツイートをしています。

しかし、ここで言うコミュ力とは、根回しして、無能な上司や権力者にごますってみたいな、あくまでも旧態依然とした日本社会におけるコミュニケーション能力ではないでしょうか? そして、ごますりで出世した無能な人間がごますってくる無能な人間を引き上げる、みたいな無限下降ループに陥ってますよね。

欧米の価値観で見れば、忖度せずに自分の意見を理路整然とはっきりと主張する岩田氏は非常にコミュ力が高いと思います。グローバルスタンダードでみると偉大な個人が没個性な日本社会で嫌われるというような事例にも思えます。

彼が嫌いな人達も彼の能力や経験は認めざるを得ないような状況なのですから、当局は彼が指摘した点を直すように努力すべきでしょう。

考え方ややり方に違いがあるようですが、私としては岩田氏も高山氏も尊敬に値する立派な人だと思います。

駄目なのはシステム。日本の既存のシステムが全体的に腐ってきています。昔は政治は三流だが優秀な官僚が支えていると思われていました。が、今は政治は三流のままでそれを支えていた優秀なはずの官僚も二流以下になってきた感があります。昔は一流と言われていた経済も二流から三流に転落中といった感じになってきました。

高山氏については、官僚にしてはずいぶんと人間味のある投稿だな、と思いプロフィールをチェックしてみたところ、生粋の厚労省の役人ではなく、感染症専門の医師で現在は厚労省で働いているといった感じのようです。

今回のコロナウィルスは致死率2%なので、この程度の騒ぎで収まっていますが、致死率が高いウィルスが流行したら完全にパニックです。311の時に菅直人が総理大臣で危機対応能力のなさを叩かれましたが、安倍晋三も似たようなものでした。

とどのつまり誰のせいかというと国民のせいなのです。国民が選挙に行く、または行かないことによって選ばれた政権ですから。誰がやっても同じというような諦めの気持ちもわからなくはありませんが、選挙には行きましょう。どんぐりの背比べみたいなうんこの中から一番臭くないうんこを選ぶのが国民の義務なのです。

海外の富裕層は本当に高級ホテルを求めているのか?

政府が援助して高級ホテルを50ほど新たに作るというニュースが出ていた。曰く、日本各地に世界レベルの高級ホテルを50ヶ所新設して、海外からやってくる富裕層の需要に応える、のだそうだ。

しかし、本当に富裕層は高級ホテルに泊まりたがっているのか? 正直なところ疑問だ。なぜかというと私の知っている富裕層の人間は、ホテル代をケチって1万前後のところに泊まる人が多い。

富裕層の定義は『1億円以上の純金融資産を持っている人間』ということになる。なぜ彼らがそれだけの資産を持てるようになったのかというと、ケチ、いや質素だからだ。そして彼らは賢いので、金が金を生むということを知っている。稼いで倹約して不労所得を生む資産を増やして、不労所得の範囲内で生活して、さらに資産を増やして不労所得も増やす。このサイクルをずっと続けている。

ちょっと稼いだらすぐに使ってしまうタイプは決して富裕層にはなれない。このあたりについては『となりの億万長者』あたりを読んだ人には常識だと思う。

富裕層だからガンガン出費するだろうというのが、そもそも勘違いだと思う。実際にガンガン使うタイプは蓄財意識のない高給取りや、稼ぐ以上に使っちゃう見栄っ張りが多いのではないだろうか? 

資産10億以下の富裕層はそんなに贅沢しない。資産100億以上の超富裕層になると大抵の贅沢は単なる誤差になるので、たぶんたくさん遣うのだろう。

価値観が多様化している現在においてホテルの快適さをトッププライオリティに設定している層がどれだけいるのか、という疑問もある。

富裕層の中には働かないで不労所得だけで生活しているような人間も多い。当然彼らはその不労所得の範囲内で生活しなければならない。例えば資産10億円を年利5%で回していたら年収5000万円だ。そこから税金などを払い、資産をさらに増やすための投資もするから、彼らが実際に使えるお金はそれほど多くない。

私をガイドとして雇う富裕層もこのタイプが多く。無駄に長期滞在する。彼らにしても、数日間だけ日本に滞在するのならば高級ホテルに泊まるのかもしれないが、平気で1ヶ月以上滞在する。そうすると一泊10万円の宿に30日だと300万円の出費だ。年の半分ぐらいはホテル暮らしという者も少なくないので、そのクラスの宿に常に泊まるとすると年間2000万円近い出費になってしまう。

私が知っている人たちの場合、通常は一泊1万程度の宿に泊まって、インスタで見栄を張るときだけ高いところに泊まる。当然インスタ映えしない高級ホテルは無意味になる。

資産100億円以上を持つような超富裕層にとってはホテル代などどれだけ高くても誤差のようなものだろうから、最高級のホテルに泊まるのだろう。が、そのレベルの超富裕層の数はそう多くない筈だ。私が知っているようなレベルの富裕層は、ホテル代を節約してフェラーリをもう一台買ったほうがずっといい、というような考えのなのだ。

正直言って、私が直接知っている数人のサンプルに基づいた意見なので偏っている可能性は高いかもしれない。一日5万円払ってプロの写真家をガイドとして雇ってまでして、良い写真を撮りたいというちょっと変わった人たちだ。いってみれば彼らはホテル代を削って私を雇っている訳だ。

何れにせよ富裕層はガンガン消費するという思い込みは基本的に間違っていると思う。富裕層の客がコメダで食べきれなかったサンドイッチをお持ち帰りしたいと言い出して、私が通訳して頼んだことがある(ちょっと恥ずかしかった)。

旅館ではなく現代的なホテルの需要が増えているのは間違いないと思う。が、高級ホテルに関しては、本当にそんなに需要があるの? といささか懐疑的な印象を持っています。

「ガイジン」だけでなく「外国人」も差別表現なのか?

「ガイジン」という言葉は差別的だと問題になったのはいつの頃からだろうか? たしか1990年代にはすでに問題視されていたと思う。そこでガイジンという言葉は差別的だと感じている人が多いから「外国人」にしましょう、という話になった。その時、私を含めて多くの人がこう思ったと思う。同じじゃん、と。

で、今になって「外国人」も排他的だという批判が起きているようだが、何しろ当時の段階ですでに同じだと思ったのだから、遅すぎたぐらいだと思う。

「じゃぁ、なんて言ったら良いんだよ!?」とキレ気味に訊いてくる人がいるかもしれない。この問題って、「ガイジン」または「外国人」って言葉が差別的だと感じる人から言わせれば、そもそもそんな概念必要ないでしょう? ってことなのだと思う。つまり言葉が問題と言うよりも、そのような概念を言葉で頻繁に表現する必要のある日本人のメンタリティが差別的または排他的なのだ。なので、例えば「外国から来てはる人」と言っても根本的にはなんの解決にもならない。

私は2016年にオーストラリアを6週間ほど撮影して回ったが、そのときに感じたのは「彼らには外人・外国人という概念がない」ということだ。それは必ずしも全面的に良いこととは限らず、日本人が大好きな「おもてなし」などという概念も当然ない。だから、外国人だからわかりやすい英語でゆっくり話してあげようなんて考えるオーストラリア人は滅多にいないし、アウトバックの連中も理解不能な方言で早口でしゃべる。

「おもてなし」というのは要するに「客」として扱うことであり、「You are not one of us.」と言っているのと同じだ。短期滞在者にとっては益があっても、長期間日本に住んでいる人の場合はそうでもない。どれだけ日本語を勉強して日本の風習や文化を理解しても、いつまで経ってもガイジン扱いなのに嫌気がさして結局日本を去っていく、という例はとても多いと思う。このフローラン・ダバディ氏も通訳をこなすぐらいの日本通なので、そういった意味でかなりストレスを感じているのかもしれない。

じゃあオーストラリアには差別はないのかと言ったら、そんなことはなくて未だに人種で差別する人も中にはいる。こちらがアジア系だとわかった瞬間にエアビーで予約を断られる、なんてこともあった。オーストラリア人かどうか、というのはさほど問題ではないというだけだ。

しかし、未だに人種差別的な人間も存在しているとは言え、人種差別はいけないことだというコンセンサスは徹底しているので、エアビーで予約を断られたときも「兄夫婦が急に泊まりに来ることになって部屋がない」というような見え透いた言い訳を言われた。一方、日本では外国人を区別することが悪いというコンセンサスがまったくないので、そのあたりは改善する必要があると思う。

このように考えている私であっても日本語で話しているときは、「外国人」という言葉を使わざるを得ないシーンもあるわけで(上の段落とか)、悪気はなくても日本人として日本に生きていると、このような概念を一切使わないで生活するというのはなかなか難しい。結局、日本文化そのものをより現代的なものにアップデートするしか無いと思う。

先日はガーディアンのラグビー関係の記事で日本のおもてなし文化が褒められていたが、この問題って同じコインの裏表のようなもので、結局おもてなし文化ってのは丁寧ではあっても差別的な文化なのだ。褒められることもあれば批判されることもある。

たぶんベストなのは短期滞在者にはおもてなし、長期間住んでいる人はいつまでもお客さん扱いしないで「one of us」としてみなす文化なのだと思う。日本がそういう方向に向かってくれたら良いな、と思う。

愛国買いという愚行

「愛国買い」というのは私が勝手にそう呼んでいるだけで、正しくはなんと表現するのか知りません。つまり、同じような製品があったら日本製を選ぶ、というか日本製の製品はもうあまりないので、日本企業の製品を選ぶ、というやつです。

日本が衰え始め、中国や韓国など他のアジア諸国の台頭が目についてきた21世紀初頭、2010年ぐらいまでは、私もこの愛国買いという行為をしばしばしていました。SamsungのディスプレイではなくIiyamaを買うとか、電子レンジや洗濯機はLGじゃなくてPanasonicにするとかそんな感じです。

当時は日本企業も日本での販売価格を低めに設定してる企業が多かったので、韓国製が似たような性能で安いとはいえ、それほどコストパフォーマンスに差はありませんでした。

しかし、そうやってサポートしてもらった日本企業は日本の消費者のことを本当に考えているでしょうか? 

そのあたりにちょっと疑問を感じたしたのは2005年頃でした。当時、私はAudio TechnicaのAT4040というマイクが欲しかったのですが、アメリカでの価格と日本の価格の差がだいぶあったのです。日本企業の製品なのにアメリカでの販売価格のほうがずっと安い。生産国はどこだか知りませんが、仮に中国だったとしても日本のほうが近いから輸送コストも低そうなもんです。とはいえ個人輸入すると国内サポートを受けられるか定かではなかった上に送料が高かった。

私は悩んだ末にShureのKSM44というマイクを購入しました。AT4040よりも上の価格帯のマイクなのですが、Shureはアメリカの会社で工場はメキシコなのに日本とアメリカの販売価格差がほとんどなかった。

もちろん私が知らない裏の事情があってそういう価格設定が行われるんでしょうが、他の国のユーザーが厚遇されているとボッタクられているように感じてしまいます。

で、私がいまメインで使っているカメラはパナソニックです。図らずもむかし電子レンジや洗濯機等で愛国買いして支えてきた会社です。他の業務についてはよく知りませんが、カメラ事業に関して言えば、パナソニックほど日本のユーザーを冷遇している企業はありません。

私が使っているのはLumix S1というカメラです。これが出たときに私は予約して買いました。ぜんぜん売れなかったので予約する必要なんてなかったんですが、私的にはスペックがツボだったのでてっきり売れると勘違いして思わず予約して買ったのです。

が、日本で買った人にはまったく特典なし。SDカードすら付きませんでした。一方、アメリカでの販売価格は日本よりも若干安い上に35,000円ほどするバッテリーグリップをオマケでつけるという大盤振る舞い。これを知ったときに一瞬予約をキャンセルしようかな、とも思いましたが、何しろスペックがツボだったので我慢しました。これって要するに私達が余分に払ったお金で、アメリカ人のユーザーにバッテリーグリップを無料でプレゼントしてるのと同じことじゃないですか?

で、今度はヨーロッパです。Lumix S1で10bit 422での4K動画撮影を可能にするDMW-SFU2というアップグレードソフトウェアキーがあるのですが、日本では2万円するのに、なんとヨーロッパでは無料! 無料ですよ! またしても日本のユーザーへのこの仕打。ふざけんなパナソニック。ぜったい買わね〜、と言いたいところだけど、必要なので買いました。

発売前の商品をYouTuberなどに渡してレビューしてもらうのも最近のマーケティングのトレンドですが、パナソニックはこのあたりも徹底していて、日本人のYouTuberには渡さなかったようです。ジェットダイスケみたいに20万以上のチャンネル登録者がいる人にも渡さず、1万人以下のサブスクライバーしかいない欧米のYouTuberには渡すという徹底ぶり。もしかしてパナソニックは日本人が大嫌いなの?

私はこのカメラもキットレンズも凄く気に入っているし、パナソニックのエンジニアも大いに称賛したいところです。が、上記の理由から、マーケティングの連中にはちょっとムカついています。いくらなんでも日本のユーザーを冷遇しすぎだろ! ああ、こんな会社を愛国買いで支えていた俺、アホだな。LGの電子レンジや洗濯機を選んで節約しておけばよかった。

ちなみにCP+の対応もPが一番悪かった。こちらの専門的な質問にものらりくらりと回答になっていないような答えしかよこさないでかなりイライラした。人を並ばせといて、一部のメディアに思いっきり割り込ませるし。予約していたのでウキウキしてブースに行ったのだけど、一気にテンション下がった。ちなみに一番良かったのはリコーで、答えづらい質問にも真摯に対応してくれました。

愛国買いなんて無意味です。あなたが応援しているその企業、あなたのことなんてまったく気にしてないかもしれませんよ? 大企業はすでにグローバル企業化しているので、日本企業とか韓国企業とかそういうカテゴリーはあまり意味がありません。

一番コスパが良い製品やサービスをあなたに提供している企業があなたにとって一番良い企業なのです。

日本人の嫌な奴と韓国人のいい奴、どっちと友達になりたいですか? 要するにそういうことです。愛国買いは無意味なのでやめましょう。

S1は良いカメラなので、使い続けますけどね!

WWFによるクレジットカード自動引き落としの謎

先日、山中湖村のセブンイレブンでクレジットカードを落とした。店の人が親切にクレジットカード会社に連絡してくれたので、即時利用が停止されたのだが、一度落として他人に拾われたクレジットカードはもう使えないという決まりらしい。仕方がないので再発行手数料を支払って新しいカードを送ってもらった。

その際にクレジットカード会社の人から「カードの番号が変わるので自動引落になっているものは再設定して頂く必要があります」と言われたので、仕方なくガスや電気等クレジットカード経由の自動引落としになっているものの再手続きをしたのだが、月々500円自動引落になっているWWFへの寄付については手続きをしなかった。

昔マヌルネコのバナー広告にやられて、マヌルネコを保護してもらいたくて思わず自動引落しの契約してしまったのだが、その後『WWF黒書―世界自然保護基金の知られざる闇という本を知ってしまったのです。読んではいませんが、寄付額の半分は人件費に使われるとか幹部は億単位の年収をもらってるとか。いろいろとジャーナリストが告発しているようです。常識的に考えて、この手の団体の幹部は名誉職で無給、職員も通常よりもちょっと低い給料だけどやり甲斐があるので、納得して働いている、って感じかと勝手に思い込んでいました。近所で猫の保護してる人たちとかみんなボランティアだし、それが普通でしょ? 

WWFって人件費だけでなく、広告宣伝費も相当使ってますよね。私ももともとバナー広告に釣られて寄付していたわけだし、フェイスブックでも頻繁に広告を見ます。たぶんこのブログポストにもGoodle Adsense経由で広告を出しているんじゃないでしょうか? 皮肉なものです。

なんで生活費の捻出やローンの支払に苦労している自分がそんな連中に寄付しなければならないんだ? とアホくさくなったので、これを気に自動引落の更新手続きはやめておこうと思ったわけです。マヌルネコの支援は他の方法を考えるとして、WWFはどうも怪しい。動物のためにも金は使われているのでしょうが、実際はごく一部なのではないかという疑念がかなりあります。

しかし、自動引落の更新手続きをしておらずクレジットカードの番号も変わったのに、なぜか引き落とされ続けています。恐ろしやWWF。

仮に効果的な動物保護にもある程度の予算が使われているとしても、マヌルネコ以外の動物に使われる金額のほうが遥かに多いでしょうから、実際にマヌルネコの保護に使われるのは私が寄付している月500円のうちのほんの数円でしょう。大半は人件費と広告費で消える。だったらロシアでマヌルネコを保護してる団体とかに直接送ったほうがいい。

寄付って難しいです。寄付をするなら自治体とか赤十字が無難ですね。WWFって一瞬国連系のちゃんとした団体かと思っちゃうけど、特に関係ないみたいです。

この手の寄付ビジネスの連中は苦手なんですよ。チャリティ関係の募金運動をする団体の幹部は清貧を貫いていないと説得力がない。今の時代に清貧が無理なら、先進国の平均所得よりもちょっと上ぐらいで我慢してください。チャリティビジネスで億単位の金を稼いでるやつらって最低だと思う。ボブ・ゲルドフも嫌い。自分よりも遥かに貧しい人間に寄付を要求するなら、自分も必要最低限の生活費だけ残して残りを寄付しろっ。

団体として利益をあげること自体は大事だと思います。そうじゃないと継続できないだろうし。しかし、扇情的なイメージを使用して動物が可愛そうという感情を喚起し、自分たちより遥かに貧しい人間から金を巻き上げて、自分たちは贅沢な生活をするってやり方はとてもじゃないが支持できない。

というわけで、WWFのホームページから退会を申し込もうかと思います。