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日本国民による小山田圭吾への集団リンチに関する私的メモ

さて、オリンピックも始まって小山田圭吾を叩きまくってた人たちも何事もなかったかのように次の話題に飛び移った。ここらあたりで、あの醜悪な日本国民による小山田氏のバッシングを振り返ってみたい。

正直言ってわたしは小山田圭吾の大ファンというわけでもないし、大炎上中に養護する発言をして自分も燃えるのは嫌だな、と思っていたビビリだ。それでも定期的に起こるあの手の集団リンチは本当に嫌いなので、ほとぼりが冷めた今になってチクリと一言言ってやりたい。

まず前提として、オリンピックだけでなくパラリンピックの開会式も兼ねているのだから、小山田圭吾はオファーを請けるべきではなかったし、IOC/JOCもオファーするべきではなかった。自ら地雷原へ突入していった小山田氏の自業自得の失敗という見方もできる。

しかし、それにしても数十年前の不祥事をあそこまで国民一丸となって叩きまくるメンタリティははっきり言って気持ち悪い。わたしの目には大同小異の業の深い人生を送ってきた者ほど自分の過去を棚に上げて叩きまくっているように見えた。

「おまえら現在進行系でイジメしてるじゃん。気がつかないの?」

というのがわたしの第一印象だった。

「いくらでも叩いても良い奴を見つけ出し、そいつを叩くことで多数派グループにおける自分の立場を良くする」

それがイジメの背景にあるメンタリティなのだと思うが、全国規模でまさにそういう状態だった。

そして人は自分にとって都合の悪いことはすぐに忘れる。たとえば人を虐めた経験と人に虐められた経験の両方がある人間は、自分が被害者だった経験しか覚えていないケースが圧倒的に多い。だからこそこういうことが度々起こる。

胸に手を当ててよくよく考えてください。あなたは大上段に構えて他人を糾弾していますが、本当にそんなに立派な人間ですか? 自分もいろいろと不味いことをしてきたのではないですか? と問われて、「まぁ、わたしもいろいろとやっちゃったかな・・・」と少し反省したとします。

実際にはその時に反省した分の3倍ぐらいはやってます。それぐらい人間の記憶というのは自分に都合の良いようにできている。もし不徳な行為は一切していないというのであれば聖人ですが、聖人は集団リンチ的な醜悪なイジメをしませんから、あなたは聖人ではありません。単に自己反省能力が全く無いだけです。

自分のことを疑ってみる能力って大事ですよ。