プロのストリートフォトグラファーという職業は存在すのか?

昨年、知人が一部上場企業を退社して、プロのストリートフォトグラファーを目指しだした。彼はとても写真が上手だ。Street /Candidという分野に限って言えば世界でもトップクラスの実力と言っても過言ではないと思う。

私が彼と飲んだ時には彼はすでに仕事を辞めていた。基本的に私は仕事を辞めて夢を追うような人が好きだ。しかし、その時わたしが思ったのは、プロのストリートフォトグラファーになると言っても、果たしてそんな職業が本当に存在しているのだろうか? という疑念だ。

もちろん森山大道さんのようにストリートフォトでのしあがった人もいるが、今とは時代が違う。その森山大道さんにしても最近では客員教授や講師として後進を指導することが主要な活動になっているようだ。最近は肖像権の侵害が声高に非難されるようになった。この傾向は今後も強まっていくと思う。強い逆風が吹いている分野だ。どんなに才能豊かな人間でも時代の流れに逆らって成功をおさめるのは難しい。

しかし、どうしてもストリートフォトグラフィーをメインの活動としてやっていきたいならば、私ならこうするだろう。

1) 海外で有名になる(肖像権の問題もあって国内での活動は制限されると思う)
・海外で写真集出版
・海外で個展
2) 有名になったら生徒を集めて月謝を主要な収入源とする

写真家にかぎらず、書道家であれ画家であれ、プロのアーティストだと思われている人の多くは生徒からの謝礼で生活を立てている。あるいは実家や配偶者が裕福で経済的な心配をする必要がない人が多い。写真の場合はライターを兼業したりツアーやガイド関連のビジネスに関わる人もいる。プリントや写真集の販売といった「純粋に写真家としての収入」がメインのプロ写真家は少ない。

風景と違ってストリートではプリントの販売は難しいだろう。見ず知らずの人の顔がばっちりと写っている写真を額装して飾りたがる人は少ない。クライアントからストリートでの撮影を依頼されるケースもありそうもない。写真集は多少の現実味があるが、日本の出版社はトラブルを恐れて及び腰になるだろう。そもそも写真集自体が売れないので、ストリートにかぎらず出版が難しくなっている。しかし、海外ならまだ可能性はあるだろう。

「プロになるって、具体的にどういう計画なんです?」と彼に訊いたら、「とにかく一日5000枚撮ってやる」と言っていた。そういう問題では無いだろうと思った。まず目的地とルートを決めてから一生懸命ペダルを漕ぐべきだ。しかし、彼はとにかくペダルを漕ぎまくると言った。それでは永遠に目的地にたどり着かない。

しかし、実際に一日5000枚撮ってたころの彼の写真は凄かった。ひょっとしたら奇跡が起こって、感動したお金持ちがパトロンになってくれる可能性もあるかもしれない、とさえ思った。しかし、貯蓄が尽きて雇用保険も切れると生活に追われるようになり、とたんに撮る枚数が減って、それに応じて写真のレベルも落ちてしまった。

私の周りには写真にハマって仕事をやめてしまった人が結構いる。そういう人たちは思い切ったことをするだけあって、みんな写真の実力は高い。しかし、写真が上手ければプロとして稼げるという単純なものではない。仕事を辞めて背水の陣を敷くのも時として有効だと思うが、具体的な計画と2−3年は食べていけるぐらいの蓄えがないのならば、考えなおしたほうが良いように思われる。

先日も文芸翻訳家について書いたときに述べたが、そもそも、目指している職業が本当に実在しているのか? これからも存在し続けるのか? ということはよく考えたほうが良いと思う。どんなに極めても、たとえ世界一になっても、生計を立てるだけの収入が得られない分野というのも存在する。もちろん自分がその道で唯一のプロになるのだ、という気骨を持てるのならば素晴らしいと思う。

「好きなことをやれ」というのは正しい。しかし、それだけでは不十分ではないだろうか? 情熱、適正、収入の3条件を高い次元で満たすのが天職だと思う。「才能」という言葉を安易に使うのは気が引けるが、どれだけ好きでも向いていないこともある。それに適正があれば上達も早く、努力自体が楽しくなって努力だと感じなくなるので、やはりある程度の適性は必須だろう。情熱と適正という2つの要素を満たしていても、お金にならないことでトップになっても職業にはできない。

私は最初から会社勤めにはまったく興味がなく。放浪生活から帰国した後は少しだけ勤めて直ぐにフリーの翻訳者になった。そしてだらだらと「名盤を作る」という夢を追ってきた訳だが、写真を始めてたった2−3年でプロとして活動するようになった今ではなぜ成功しなかったのかよく分かる。悔しいが音楽に関してはシンガー・プレイヤーとしての適性が足りなかったと認めざるをえない。パフォーマーとしての自分の適性に早い時期に見切りをつけて、作曲とプロデュースに専念していればもう少し可能性もあったかもしれない。10年、20年と夢を追い続けるとやめるにやめられなくなる。「この山にこんなに時間を掛けて登ったのに、今さら他の山に登るの?」という考えが浮かんでしまう。

一意専心で遮二無二に3年やってまったく結果が出ない場合は諦めたほうが良いと思う。遮二無二にできない場合はそもそも情熱が足りない。極めてもお金にならない分野は、自分の時間を作りやすく且つあまり苦にならない本業を持って、気合の入った趣味にするのが良いと思う。

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