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Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010)

旅行・山行用に軽くてそれなりに写る便利ズームが欲しくなった。普段から愛用しているSIGMA 24-105mm f/4 DG OS HSM | ARTは便利さと画質を兼ね合わせたモデルで、解放での周辺減光さえ気にならなければ便利な上にかなり高画質という素晴らしいレンズだ。が、重量は結構あるし、もう少し望遠が欲しいシチュエーションもよくある。Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD Model (A010)はとてもコンパクトで軽い割にはなかなか評判が良かったので、ちょっと試してみた。

_9E63945Nikon D800E + Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010)
28mm, f/11, ISO100, 1/10sec.
ピントは手前の家
f/11の等倍はこちら
f/22の等倍はこちら

安くて軽い割にはそれなりに写るが、私が手に入れた個体は明らかに右側の画質のほうが悪い。上下左右均等に劣化してくれれば使いやすいのだが、この手の便利ズームは個体差が激しいので、そういう個体を手に入れるには何本も買って一番良いのを選ばないと難しい。中央部分の画質悪化と小絞りボケ覚悟でf/16やf/22まで絞れば若干改善するが、手持ちの時はなかなかそこまで絞れない。AFも実は微妙に外れているということがよくあるので、手持ちで撮るときはピントを何回も合わせ直して、当たっているショットを期待するしか無い。風景撮るときはライブビューで拡大して完璧に合わせれば問題ないが、当然動き物には向かない。便利ズームだからしょうがない。

ちょっとこの周辺画質だと厳しいかな、というのが正直な感想。右端の画質が残念だ。偏りのないあたり個体だったらFXでもf/11程度の絞り値で周辺が許容範囲内に収まると思うので、かなり便利だとは思う。当たり個体が届いていたら絶賛していただろう。

周辺がダメならDX機につけて換算42mm-450mmで使ってみるのも一興かと思って試してみが、驚いたことにテレ端の画質はSP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD (Model A005)よりも解像度が良かった。

_DSC4401Nikon D5300 + Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010)
300mm, f/11, ISO100, 1/6sec.
ピントは幼稚園の壁
Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010) 等倍
Tamron SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD (Model A005) 等倍

コントラストと色乗りの違いは降りだした小糠雨の影響もあるかもしれません。WBオートで撮ったので、LRで同じにしました。明るさは若干調節しています。Gitzoの三脚にリモートレリーズで撮ったのでブレではありません。200mmも同様の傾向でした。

ちなみに70mmで比べるとA005の圧勝でした。A010はテレ端で頑張っていますが、ワイ端では24MPのAPS-Cでは中心部でも解像度不足が気になります。

コンパクトなのでD5300用の標準〜望遠便利ズームとして使おうかと思います。D5300はGPS内臓なのでロケハンを兼ねた旅行には調度良い。A010は当たり個体を求めてもう2、3個買うかもしれません。苦労して手に入れた当たり便利ズームは手放せませんよ。単焦点なんかはそんなに個体差無いですけどね。

追記
広角で風景を撮る場合は無限遠に近いところで撮ると隅がかなりあれますが、ピントをなるべく手前に設定して絞り込んで被写界深度を深くすると、若干改善されるようです。

追記2
結局一週間ほどで売りました。28-300mmは重さ1kg以上、フィルター系82mmとかでも良いのでもう少し使える画質のレンズをどこか出してほしい。28-200mmでも構わない。

猫脱出防止柵を設置

DSC03396

私の家はかなり田舎だが家の前は交差点で朝夕は意外と交通量が多い。しかも、某佐◯急便のおじさんが呼び鈴を鳴らさずに勝手にドアを開くことがある。都会ではありえないことだが田舎なので仕方がない。が、万が一猫が外に出てしまったら大変なことになるかもしれないので、ネコ脱出防止用の柵を設置しました。購入したのはこちら:

日本育児 ベビーズゲート ホワイト 取り付け幅73~90cm×奥行2.5×高さ76.5cm 5994006001 6ヶ月~24ヶ月対象 扉開閉式突っ張りゲイト

もともとは赤ん坊が危険な場所に進入するのを防止するための製品のようですが、柵の間隔は狭い(約5.5cm)ので成猫にも使えそうです。扉を閉めると自動でロックが掛かります。

_9E63760

ロックを解除するには上部にある茶褐色のロック部分をスライドした上に扉を少し上に持ち上げないと開かないので、安心感はあります。家は防寒対策も兼ねてカーテンを兼用。これでまず大丈夫だと思うけど、開けっ放しにしたら無意味なのでそれだけは気をつけなければ。

_DSC4308

くーにゃんは窓際にお気に入りの場所を見つけたご様子。うちにやってきた当初はケージの中で石化してまったく動きませんでしたが、徐々に慣れてきたのか、さっそく障子を一枚破ってくれました(^o^;)

望遠レンズに悩む

_4E19455

D800E + Tamron SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD (Model A005)@300mm
等倍はこちら

基本的に広角〜標準域で風景を中心に撮ってきたので、今現在、望遠レンズは良い物を持っていない。シグマSIGMA 120-300mm f/2.8 DG OS HSM | SPORTS を使用していたことがあって、これは本当に素晴らしい描写だった。が、重い。三脚もレンズに応じて重いのが必要になる。これを使った経験から私向きのはレンズは2kgまでだな、と思った。来年はちょっと3ー4ヶ月ほど海外を旅行して、ネパールにもトレッキングに行こうと計画しています。ひょっとしたら雪豹やマヌルネコが撮れるかもしれないのだから、望遠も持って行きたいと思っているところ。移動の多い旅行やトレッキングにおける描写と重さのバランスというのは切実な問題で、ロクヨンなんてとてもじゃないが無理な話。現在家にある望遠ズームはタムロンのSP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD (Model A005)だけ。このレンズ軽い割にはなかなか良いが、200mmを超えるととたんに描写が甘くなる。ワイ端は実は素晴らしい写り。でもテレ端はおまけ。テレコン併用なんてもってのほか。という訳で候補を考えてみると・・・

  1. SIGMA 150-600mm F5-6.3 DG OS HSM Contemporary
    描写には定評があるし、重さも2kgを切っている。しかし、長期の旅行で、しかも使わない日のほうが多い場合はちょっとキツそうな気もする。北海道を車で旅行して撮って廻る計画もあるので、その時はこれを使いたい。コイツを持って行くとなるとカメラ関連の総重量が5kgを超えてしまいそう。
  2. AF-S NIKKOR 300mm f/4E PF ED VR
    重さ755g。軽い! 等倍のサンプルを見たがテレコンx1.4ぐらいまでならD800シリーズでも十分な解像度がありそう。これはちょっと欲しい。が、けっこう高い・・・w
  3. Nikon 1 V3 + 1 NIKKOR VR 70-300mm f/4.5-5.6
    2つ合わせても重さは874gほど。テレ端は換算で810mm。望遠はもうこれに任せちゃうというのも良いかもしれない。仮に野生の雪豹やマヌルネコが撮れたとして、どうしても大判印刷しなければならないという可能性は薄い。V3はAF追従で20fpsだから動体にはかなり良さそう。
  4. OM-D E-M5II + M.ZUIKO DIGITAL ED 75-300mm F4.8-6.7 II
    2つ合わせても892g。OM-Dも動体には強いはず。ただしテレ端は暗くてAFの追従性がいまいちな上、E-M5IIのボディ内手ぶれ補正は換算600mmではあまり威力を発揮しないという話も聞く。興味がそそられるのがハイレゾショット。センサーを微妙に動かして8枚撮影して合成するらしいが、完全に動きのない風景だったらD800E/810以上の解像度を発揮するかもしれない。ダイナミックレンジはちょっと狭くなるだろうけど、ブラケットでハイレゾショットというのも可能だろうから致命的ではない。原理から言って、光の軌跡とかは無理だろうけど、超広角で星景だったら、星の動きはゆっくりだからハイレゾショットいけるかな? 近々正式発表される予定の300mm f/4次第ではかなり魅力的かも。
  5. Canon 7DMK2+EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM
    これを選ぶと広角・標準域を5Ds Rが担当することになるので、システム総とっかえになって出費がキツイ。B0ぐらいの大きさをバンバン印刷する予定だったら良いかもしれないけど。5Ds Rは広角と標準域も重いの持ってかないと解像しないだろうねぇ。三脚も2型4段のトラベラーじゃキツそうだ。5Ds Rを使うなら3型を持って行きたくなる。となるとこのシステムはかなり重い。カメラ関係の総重量は5kg以内に抑えないと移動が苦痛になりそうだ。

旅行写真家に人気のA7RIIは望遠が弱いから候補に入ってない。明るい超広角ズームも無いし、結局他マウントのレンズをアダプター経由で使うんだったら使い勝手悪いもんね。とりあえずオリンパスの300mm f/4 PROの発表待ちかな。Fマウント用の望遠ズームで軽い割には描写が良いのが出てくれると良いんだけど。ネット中心で印刷はA4まれにA3ってパターンだったら、1インチの望遠ズームコンデジ(FZ1000 or PowerShot G3 X)とα6000に10-18mmに軽めの単焦点1つでなんとかなりそうだ。α6000のほうは頑張ればA2ぐらいまで行けそう。その方が旅行自体は楽しいかもね・・・

ちなみに現在あるボディはD800E x2、D5300、ILCE-7、コンデジはdp0Q、dp2Q、RX100M2。

モノクロームについて考えてみた

DSC06869-Edit-Edit

Jubilee Church, Rome
Architect: Richard Meier
Taken with a Sony CyberShot and processed in B/W today.

ローマにいた時はコロッセオやサン・ピエトロ大聖堂のような歴史建築ばかり撮っていたので、たまには現代建築を撮ろうと思って辺鄙な郊外まで行って撮ったショット。東京で言えば東大和市みたいなところにある。バスの乗換えが複雑で辿り着くのがなかなか大変だった。ソニーのコンデジで撮ったJPEGを元に白黒に仕上げ直してみた。この写真を撮った時の光は酷く凡庸だったので、これをカラーで作品っぽく仕上げるのは不可能だ。

自然風景を毎日のように撮っていると、白黒というのは自然光が奇跡を見せなかった時の逃げ、というような感覚が生じてしまう。何だかんだと言って、自然が奇跡の色を演出した時の会心のショットを白黒にするのは勿体無い。

目で見た通りの光景を記録するのであればカラーを使うのが当然だろう。しかし、カラーだからといって別に目で見たとおりになるべく忠実に表現しなくてはならない、などというルールはない。ただニュートラルに記録するだけならばその人の作家性は無いということになってしまう。

休日しか来れない人がついついやり過ぎなぐらい派手に仕上げたくなる気持ちもわかる。私もそうでした。結果的には素人が見た限りでは本当の自然の色なのか後処理の色なのかわからないので、頻繁に撮っている人間からすれば平凡な日の風景をド派手に仕上げた人がネットでバズったりするのも避けられない問題だろう。とはいえど派手にするのでも技術の差がはっきりと存在していて、完全に色飽和を起こして破綻していたりするのもよくバズるのは少しだけ悲しい。

これは写真家というのはアーティストなのか技師(記録者)なのかという問題にも繋がるかもしれない。この辺りの定義ははっきりとしておらず曖昧模糊としているため、自分と違う考え方の人を非難する人もいる。

私はプリントの販売がメインで、画家に近い感覚のアーティストとしての立ち位置で勝負したいと思っているので、これからは白黒ももう少し勉強してみようかなと思う。自然が奇跡を見せてくれた時はなるべく忠実に、そうでもない日は自分なりの解釈である種の素材として使わせてもらう。それでもいいかなと思うようになった。そうしないとたまにしか来ない人には泣きたくなるような絶景でも「3年前のあの時のほうが良かったな〜」なんてことを言うようになって、毎日がどんどん不毛になっていく。毎日のように絶景を見ていることによるある種の病気だ。絶景病と名付けたい。絶景病の人は「今日は作品にならねぇな」が口癖だ。私はいつもの普通の富士山にも感動したい。

この辺りの立ち位置は人それぞれだと思うので、自分の考えを人に押し付けるようなことだけはしたくない。後から水平を直したくない人は直さなければいいし、トリミングしたくない人はしなければいい。JPEG撮って出しにこだわりたければそうすればいいし。フィルムにこだわりたければ使えばいい。もちろん全部逆でもいい。自分なりのこだわりを持つのは素敵だが、それだけが正解だと思って押し付けがましくなると単なるカルトになる。人は人、自分は自分。世の中に絶対に正しいことなんて無い。

色即是空
空即是色
色不異空
空不異色

所詮一切は空であるが、この世界の色はとても美しい。

合掌

無関心のすすめ

「愛の反対は憎しみではなく無関心」って言うけど、何か一つのことに没頭すると他のことは無関心になっちゃうよね。個人的には憎むぐらいなら無関心でいたい。適度に無関心になって距離をとる事が相容れない人と共存する道だと思う。批判されてもムキにならずに柳に風、そういうふうに生きていきたい。実際には修行が足りないので、批判されると脊椎反射で怒っちゃうんだけどね。でも性格的に怒りが持続しないようにできているらしく、長期に渡って憎しみを募らすようなことはない。

そもそも全ての存在を平等に愛するなんて私には不可能だ。それは多くの人にとっても同様だろう。だが、もし嫌っている人に対して0の愛を与えて無関心を貫き、本当に好きな人に対して大きな愛を与えることができたら、誰も憎まずに生きていける。これならば可能なんじゃないだろうか? まぁ、流石に最愛の人を惨殺されたりしたら無理かもしれない。でもそんな劇的な人生を送っている人は日本ではごく一部だろう。

もし人類の大部分がこうやって何も憎まずに憎む代わりに無関心になれば世界は平和じゃないか。ネットに溢れているヘイトには些かうんざりする。みんなちょっと簡単に人を憎み過ぎじゃないか? LOVE&PEACEを掲げておいて自分と違う思想の人を攻撃する人も散見する。そんなもんLOVE&PEACEじゃないだろう。

私を嫌いな人は私を無視すればいいし、私も嫌いな人を無視すれば良い。合わない人というのは必ずいる。相容れない思想というのも必ずある。憎んで殺してやろうとか思ったほうが愛に近いなんてあるわけ無い。そもそも全人類が同じ価値観や思想で統一されることはないだろうし、もしそうなったら愛の名を語った全体主義による恐怖政治が実態だろう。違いを楽しむ心の余裕がほしい。

世界を良い方向に変えようと思って批判するのは愚策だ。むしろ批判の連鎖が負のスパイラルを起こして世界は悪化する。批判するよりは無関心。人のポイ捨てを批判するならば自分でゴミ拾おう。韓国や中国を批判することを愛国だと勘違いしている人が多いように感じるが、本当の愛国というのは他国の批判ではなく日本の社会への貢献だろう。中国の軍事パレードに参加する自称平和主義者と同じぐらい嘘っぽい。私には偽愛国者と偽平和主義者の鍔迫り合いに見える。おっとこれは批判っぽいな。まだまだ修行が足りない。

人生は短い。嫌いなことを考えている時間を減らして好きなことを考えている時間を増やしたい。私もついつい批判したくなっちゃうことがあるので、これは自戒の念を込めて書いてみた。