日本人の英語が通じない元凶:「ホ」の呪い

いわゆる5W1Hというのをご存じだと思います。英語では”Five W’s and One H”なんて言いますが、情報伝達の鍵を握ると言われる以下の6つの言葉のことです。

what(何), who(誰), when(いつ), where(どこ), why(なぜ), how(どのように)

中学生のとき、私はこれらの単語を英語の先生から次のようにカタカナ発音で教わりました。

what(ホワット), who(フー), when(ホエン), where(ホエアー), why(ホワイ), how(ハウ)

whoとhowについてはいいでしょう。しかしwhat, when, where, whyについてはこれじゃ通じません。リンクを張っておいたのでCambridgeのオンラインディクショナリーでネイティヴの発音をチェックしてみてください。

what(ワット), who(フー), when(ウェン(より正確にはヱン)), where(ウェア(ヱア)), why(ワイ), how(ハウ)

このように覚え直しましょう。これだけで劇的に通じるようになります。whenとwhereに関してはア行の発音ではなくちゃんとワ行の発音になるようにリンクされたページでチェックしてください。「ゐ」と「ゑ」を日本語に復活させたら英語の発音がすこし簡単になるのに。

what, when, where, whyはそれぞれ頭に「h」をつけて発音しても問題ありません。つけてもつけなくてもどちらでも正しい発音です。しかしこの「h」はかなり微妙な子音だけの「h」なのです。「h」とこれぐらいの大きさの薄い色のフォントで書いた方がいい感じの「h」。日本人が「h」をつけようとして「ホ」と発音すると、それは「ho」になってしまうのです。そしてこの「ホ」が原因で無残なほど通じなくなってしまいます。日本人の英語教師の大半はこの「h」を正しく発音できません。「h」をつけなければ不正確な英語だというならともかく、どちらでもよいのに好き好んで難易度が高い発音を教えるのはばかげていると思いませんか?

what(ワット), who(フー), when(ウェン), where(ウェア), why(ワイ), how(ハウ)

と覚えるだけで劇的に通じやすくなります。英会話において一番大切なのは質問です。とりわけ自分以外は複数のネイティヴスピーカーというような状況では自分から積極的に質問しないとまず会話について行けません。いわゆるpart of the furniture状態になってしまいます。質問することでトピックが何かをつかむことができるのです。相手も自分のことについて滔々と話すのは気分がいいですし、自分が自分のことについて滔々と話すのは別次元の英語力が必要になります。上級と言われるレベルになるまでは、短いセンテンスの受け答えしかできないでしょう。しかし質問で必須の6つの単語(文法的には疑問副詞または疑問代名詞と呼ばれるもの)のうちの4つが非合理的な教育を通して非常に通じづらくなっているので、質問してもまったく通じない。極めて基礎的なセンテンスなのに何度も聞き直されて、それでも通じないので心が折れてしまった人もいるのではないでしょうか。残り一つの疑問代名詞「which」も「ウィッチ」と発音しましょう。ええ魔女を意味する「witch」と同じ発音です。無理して「h」をつける必要はありません。

とにかく質問、よくわからなかったらまた質問。それを繰り返すことで経験値が得られます。通じる英語を覚えましょう。

どうやらこの「『ホ』の呪い」未だに学校の英語教育で続いているようです。日本における英語教育の現状について聞く度に驚かされるのですが、30年前から殆ど進化していない。私が翻訳者になったときはこれからの若い子はみんな英語がぺらぺらになるから将来的には翻訳者なんて必要なくなるだろう、なんて言われましたが全くの杞憂に終わりそうです。AIについてもまだ論外なレベル。いちばんの脅威は激安レートで翻訳する途上国のマルチリンガルたちですが、クオリティで勝負するならば大丈夫です。ああ日本語が公用語の途上国がなくて良かった。閑話休題。繰り返しになりますが、とにかく5W1Hに関しては次のように覚えましょう。

what(ワット), who(フー), when(ウェン), where(ウェア), why(ワイ), how(ハウ)

30年前の自分にこのブログを見せたいぐらい(笑)

日本政府は国語の時間を削って英語の時間を増やしたり、英語の授業の開始学年を早めたり、といろいろ対策を練っているようですが、ちょっと的外れなことをしている印象があります。もう少し実用性を重視してほしいですね。「h」を頭につける発音もあるけど、正しく発音するのは難しいので無理につける必要はまったくありません、って教えればいいだけの話。こういうのを積み重ねていきません?

ああ、あと映画の配給会社やレコード会社の人も邦題に「ホエン」とか使わないで欲しい。日本人の英語力低下の温床になっています。

P.S. whileやwhiteついても同じです、発音はホワイル(hwail)・ホワイト(hwait)ではなくワイル(wail)・ワイト(wait)と覚えましょう。

アマナとGettyどちらが良い?

アマナがマイナンバーを送れと言ってきたけど、これ送らなかったら契約破棄されるのかな?

Screen Shot 2016-07-21 at 4.48.14 PM
 
アマナの方が取り分はいいし、RM/RFを選べるのは良いのだけど(さらに契約時にRM・RFごとに独占/非独占も選べた)、Gettyのほうが販売力はある。
 
いまチェックしてみたら珍しく両方売れていた。Gettyはロンリープラネットと博報堂、アマナはプレジデント社「火山の国日本(ムック)」と旺文社の新ドライブ本、値段から言って小さいでしょう。出版はアマナの方が多い感じ。表紙でどーんと使ってくれないかね・・・
 
ストックも本気でやれば結構稼げるのかもしれないけどなにしろタグ付け・登録作業が面倒くさい。ストックをメインにすると文字を入れる場所を確保するために余白をつける癖がついてしまうので、(アーティストとしての)写真家として勝負するならばマイナス要因になる、ということを何度か言われたことがある。とりわけギャラリストや先輩プロ写真家など、一目置くべき存在の人に言われたので留意すべき点だと思うが、「これはストック用」と割り切って撮れば大丈夫じゃないかな、という気がしている。

ネットでバズる写真、フォトコンで受ける写真、ギャラリーで売れる写真、ストックで売れる写真、全部違う。近頃は全部使い分けようと思えば使い分けられるだけのスキルが身についたと思っているが、ネットでバズる写真——つまり彩度とコントラストと明瞭度が異常に高く、スマホで一瞬だけ見る分にはいいけどプリントすると凄く気持ち悪い写真——については美意識的にやりたくない。

ストックフォトが魅力なのは一度頑張って大量に登録すればあとは放っておいてもある程度収入が入るという点か。なにしろずっとフリーランスだったし世代的にも年金には殆ど期待できないので、老後への布石としたい気もする。けど、そのころにはアマナもGettyも潰れてたりして。やはりリスクの分散という観点から見ると両方に登録し続けるべきかな。1つだけのほうがファイルの管理はずっと楽だと思うけどね。
 
そういえば昔バックパッカーだった頃(20世紀末ごろ)なぜか日本人のバックパッカーはみんな口をそろえて「ロンリープラネッツ」と発音していたような気がする。a lonely planet=Earthと考えれば単数形なんだけど、ロンリープラネットのガイドブック複数という意味だったのだろうか。それとも所有格だったのか・・・

OLYMPUS 300mm f/4 IS PROの発表で思い知るNIKON 300mm f/4E PFの素晴らしさ

オリンパスは以前から300mm f4を出しますよ、とアナウンスしていたのでやっと出るのかという感じです。望遠は嵩張るので、M43で望遠ってのも良いかなと以前は思っていたけど、このレンズは三脚座無しで1270gと結構重い。E-M1が443gなので合計で1713gになります。

意外と知らない人も多いがニコンにはAF-S Nikkor 300mm f/4E PF ED VRというレンズがあって、私も愛用しているが、これがとても軽くて解放からシャープで写りが良い。重さは755gなので760gのD500と組み合わせても1515gとなる。つまり、マイクロフォーサーズのシステムより軽い。しかも、D500は1.3xクロップモードも備えているので、その場合の換算画角は585mmになるから同じぐらいの画角で撮れる。

絶対的な手ぶれ補正の性能はオリンパスのほうが若干上だと思うけど、AF性能、連射機能、高感度耐性等、それ以外のほぼすべての領域でD500のほうが性能が良いので、望遠目的でオリンパスに行く理由は無くなった。猫撮り限定ならばE-M1と40-150mm f/2.8の組み合わせはかなり魅力だけど。

D500+300mm f/4Eって組み合わせはかなり心惹かれる。発売されたらK-3IIを下取りに出して手に入れよう。D5も勿論素晴らしいのだけど、風景ばかりで使っても宝の持ち腐れだし、遠くの動体撮るには500mm f4ぐらいのレンズが欲しくなるだろうから、高くて重いシステムになる。山行や旅行ではちょっと厳しい。D500は4K動画を本体で30分記録できるが、D5は外部ストレージを使わないと3分までしか録画できないという制限もD500に気持ちが傾く理由の1つ。見栄と所有欲だけでカメラを買うのも虚しいし。

やはりD810A&D800Eで風景、D500で望遠動体って組み合わせが、自分の場合は理にかなっている。D5300はタイムラプス専用機としてシャッターユニットが壊れるまで使い続けるつもり。

初ペンタだったK-3IIにはいろいろと新鮮な機能がついていて感心させられたが、AFエリアのカバー範囲が狭い(D5300より狭い!)のと、RAWボタンに割り当てた手ぶれ補正のON/OFFがたまに効かなくなる点、フォーカスポイントを動かすときにいちいち右下のボタンを押さなければならない点がかなり使いづらく感じる。リアルレゾリューションも被写体ブレがもろに影響する上に、ブラケットと連動できないので、実際の作品作りで役に立つことは少ない。単にニコンの操作体系に慣れてるだけかもしれないが、ニコンも元気になったのでしばらくはニコン野RAWでいます。

ニコンはPFレンズを使った軽量高性能望遠レンズをもっと作って欲しい。400mm f/4E PFを1kg前後で出してくれたら最高だ。30万ぐらいしちゃうかもしれんけど。

Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010)

旅行・山行用に軽くてそれなりに写る便利ズームが欲しくなった。普段から愛用しているSIGMA 24-105mm f/4 DG OS HSM | ARTは便利さと画質を兼ね合わせたモデルで、解放での周辺減光さえ気にならなければ便利な上にかなり高画質という素晴らしいレンズだ。が、重量は結構あるし、もう少し望遠が欲しいシチュエーションもよくある。Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD Model (A010)はとてもコンパクトで軽い割にはなかなか評判が良かったので、ちょっと試してみた。

_9E63945Nikon D800E + Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010)
28mm, f/11, ISO100, 1/10sec.
ピントは手前の家
f/11の等倍はこちら
f/22の等倍はこちら

安くて軽い割にはそれなりに写るが、私が手に入れた個体は明らかに右側の画質のほうが悪い。上下左右均等に劣化してくれれば使いやすいのだが、この手の便利ズームは個体差が激しいので、そういう個体を手に入れるには何本も買って一番良いのを選ばないと難しい。中央部分の画質悪化と小絞りボケ覚悟でf/16やf/22まで絞れば若干改善するが、手持ちの時はなかなかそこまで絞れない。AFも実は微妙に外れているということがよくあるので、手持ちで撮るときはピントを何回も合わせ直して、当たっているショットを期待するしか無い。風景撮るときはライブビューで拡大して完璧に合わせれば問題ないが、当然動き物には向かない。便利ズームだからしょうがない。

ちょっとこの周辺画質だと厳しいかな、というのが正直な感想。右端の画質が残念だ。偏りのないあたり個体だったらFXでもf/11程度の絞り値で周辺が許容範囲内に収まると思うので、かなり便利だとは思う。当たり個体が届いていたら絶賛していただろう。

周辺がダメならDX機につけて換算42mm-450mmで使ってみるのも一興かと思って試してみが、驚いたことにテレ端の画質はSP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD (Model A005)よりも解像度が良かった。

_DSC4401Nikon D5300 + Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010)
300mm, f/11, ISO100, 1/6sec.
ピントは幼稚園の壁
Tamron 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010) 等倍
Tamron SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD (Model A005) 等倍

コントラストと色乗りの違いは降りだした小糠雨の影響もあるかもしれません。WBオートで撮ったので、LRで同じにしました。明るさは若干調節しています。Gitzoの三脚にリモートレリーズで撮ったのでブレではありません。200mmも同様の傾向でした。

ちなみに70mmで比べるとA005の圧勝でした。A010はテレ端で頑張っていますが、ワイ端では24MPのAPS-Cでは中心部でも解像度不足が気になります。

コンパクトなのでD5300用の標準〜望遠便利ズームとして使おうかと思います。D5300はGPS内臓なのでロケハンを兼ねた旅行には調度良い。A010は当たり個体を求めてもう2、3個買うかもしれません。苦労して手に入れた当たり便利ズームは手放せませんよ。単焦点なんかはそんなに個体差無いですけどね。

追記
広角で風景を撮る場合は無限遠に近いところで撮ると隅がかなりあれますが、ピントをなるべく手前に設定して絞り込んで被写界深度を深くすると、若干改善されるようです。

追記2
結局一週間ほどで売りました。28-300mmは重さ1kg以上、フィルター系82mmとかでも良いのでもう少し使える画質のレンズをどこか出してほしい。28-200mmでも構わない。

猫脱出防止柵を設置

DSC03396

私の家はかなり田舎だが家の前は交差点で朝夕は意外と交通量が多い。しかも、某佐◯急便のおじさんが呼び鈴を鳴らさずに勝手にドアを開くことがある。都会ではありえないことだが田舎なので仕方がない。が、万が一猫が外に出てしまったら大変なことになるかもしれないので、ネコ脱出防止用の柵を設置しました。購入したのはこちら:

日本育児 ベビーズゲート ホワイト 取り付け幅73~90cm×奥行2.5×高さ76.5cm 5994006001 6ヶ月~24ヶ月対象 扉開閉式突っ張りゲイト

もともとは赤ん坊が危険な場所に進入するのを防止するための製品のようですが、柵の間隔は狭い(約5.5cm)ので成猫にも使えそうです。扉を閉めると自動でロックが掛かります。

_9E63760

ロックを解除するには上部にある茶褐色のロック部分をスライドした上に扉を少し上に持ち上げないと開かないので、安心感はあります。家は防寒対策も兼ねてカーテンを兼用。これでまず大丈夫だと思うけど、開けっ放しにしたら無意味なのでそれだけは気をつけなければ。

_DSC4308

くーにゃんは窓際にお気に入りの場所を見つけたご様子。うちにやってきた当初はケージの中で石化してまったく動きませんでしたが、徐々に慣れてきたのか、さっそく障子を一枚破ってくれました(^o^;)

望遠レンズに悩む

_4E19455

D800E + Tamron SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD (Model A005)@300mm
等倍はこちら

基本的に広角〜標準域で風景を中心に撮ってきたので、今現在、望遠レンズは良い物を持っていない。シグマSIGMA 120-300mm f/2.8 DG OS HSM | SPORTS を使用していたことがあって、これは本当に素晴らしい描写だった。が、重い。三脚もレンズに応じて重いのが必要になる。これを使った経験から私向きのはレンズは2kgまでだな、と思った。来年はちょっと3ー4ヶ月ほど海外を旅行して、ネパールにもトレッキングに行こうと計画しています。ひょっとしたら雪豹やマヌルネコが撮れるかもしれないのだから、望遠も持って行きたいと思っているところ。移動の多い旅行やトレッキングにおける描写と重さのバランスというのは切実な問題で、ロクヨンなんてとてもじゃないが無理な話。現在家にある望遠ズームはタムロンのSP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD (Model A005)だけ。このレンズ軽い割にはなかなか良いが、200mmを超えるととたんに描写が甘くなる。ワイ端は実は素晴らしい写り。でもテレ端はおまけ。テレコン併用なんてもってのほか。という訳で候補を考えてみると・・・

  1. SIGMA 150-600mm F5-6.3 DG OS HSM Contemporary
    描写には定評があるし、重さも2kgを切っている。しかし、長期の旅行で、しかも使わない日のほうが多い場合はちょっとキツそうな気もする。北海道を車で旅行して撮って廻る計画もあるので、その時はこれを使いたい。コイツを持って行くとなるとカメラ関連の総重量が5kgを超えてしまいそう。
  2. AF-S NIKKOR 300mm f/4E PF ED VR
    重さ755g。軽い! 等倍のサンプルを見たがテレコンx1.4ぐらいまでならD800シリーズでも十分な解像度がありそう。これはちょっと欲しい。が、けっこう高い・・・w
  3. Nikon 1 V3 + 1 NIKKOR VR 70-300mm f/4.5-5.6
    2つ合わせても重さは874gほど。テレ端は換算で810mm。望遠はもうこれに任せちゃうというのも良いかもしれない。仮に野生の雪豹やマヌルネコが撮れたとして、どうしても大判印刷しなければならないという可能性は薄い。V3はAF追従で20fpsだから動体にはかなり良さそう。
  4. OM-D E-M5II + M.ZUIKO DIGITAL ED 75-300mm F4.8-6.7 II
    2つ合わせても892g。OM-Dも動体には強いはず。ただしテレ端は暗くてAFの追従性がいまいちな上、E-M5IIのボディ内手ぶれ補正は換算600mmではあまり威力を発揮しないという話も聞く。興味がそそられるのがハイレゾショット。センサーを微妙に動かして8枚撮影して合成するらしいが、完全に動きのない風景だったらD800E/810以上の解像度を発揮するかもしれない。ダイナミックレンジはちょっと狭くなるだろうけど、ブラケットでハイレゾショットというのも可能だろうから致命的ではない。原理から言って、光の軌跡とかは無理だろうけど、超広角で星景だったら、星の動きはゆっくりだからハイレゾショットいけるかな? 近々正式発表される予定の300mm f/4次第ではかなり魅力的かも。
  5. Canon 7DMK2+EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM
    これを選ぶと広角・標準域を5Ds Rが担当することになるので、システム総とっかえになって出費がキツイ。B0ぐらいの大きさをバンバン印刷する予定だったら良いかもしれないけど。5Ds Rは広角と標準域も重いの持ってかないと解像しないだろうねぇ。三脚も2型4段のトラベラーじゃキツそうだ。5Ds Rを使うなら3型を持って行きたくなる。となるとこのシステムはかなり重い。カメラ関係の総重量は5kg以内に抑えないと移動が苦痛になりそうだ。

旅行写真家に人気のA7RIIは望遠が弱いから候補に入ってない。明るい超広角ズームも無いし、結局他マウントのレンズをアダプター経由で使うんだったら使い勝手悪いもんね。とりあえずオリンパスの300mm f/4 PROの発表待ちかな。Fマウント用の望遠ズームで軽い割には描写が良いのが出てくれると良いんだけど。ネット中心で印刷はA4まれにA3ってパターンだったら、1インチの望遠ズームコンデジ(FZ1000 or PowerShot G3 X)とα6000に10-18mmに軽めの単焦点1つでなんとかなりそうだ。α6000のほうは頑張ればA2ぐらいまで行けそう。その方が旅行自体は楽しいかもね・・・

ちなみに現在あるボディはD800E x2、D5300、ILCE-7、コンデジはdp0Q、dp2Q、RX100M2。

モノクロームについて考えてみた

DSC06869-Edit-Edit

Jubilee Church, Rome
Architect: Richard Meier
Taken with a Sony CyberShot and processed in B/W today.

ローマにいた時はコロッセオやサン・ピエトロ大聖堂のような歴史建築ばかり撮っていたので、たまには現代建築を撮ろうと思って辺鄙な郊外まで行って撮ったショット。東京で言えば東大和市みたいなところにある。バスの乗換えが複雑で辿り着くのがなかなか大変だった。ソニーのコンデジで撮ったJPEGを元に白黒に仕上げ直してみた。この写真を撮った時の光は酷く凡庸だったので、これをカラーで作品っぽく仕上げるのは不可能だ。

自然風景を毎日のように撮っていると、白黒というのは自然光が奇跡を見せなかった時の逃げ、というような感覚が生じてしまう。何だかんだと言って、自然が奇跡の色を演出した時の会心のショットを白黒にするのは勿体無い。

目で見た通りの光景を記録するのであればカラーを使うのが当然だろう。しかし、カラーだからといって別に目で見たとおりになるべく忠実に表現しなくてはならない、などというルールはない。ただニュートラルに記録するだけならばその人の作家性は無いということになってしまう。

休日しか来れない人がついついやり過ぎなぐらい派手に仕上げたくなる気持ちもわかる。私もそうでした。結果的には素人が見た限りでは本当の自然の色なのか後処理の色なのかわからないので、頻繁に撮っている人間からすれば平凡な日の風景をド派手に仕上げた人がネットでバズったりするのも避けられない問題だろう。とはいえど派手にするのでも技術の差がはっきりと存在していて、完全に色飽和を起こして破綻していたりするのもよくバズるのは少しだけ悲しい。

これは写真家というのはアーティストなのか技師(記録者)なのかという問題にも繋がるかもしれない。この辺りの定義ははっきりとしておらず曖昧模糊としているため、自分と違う考え方の人を非難する人もいる。

私はプリントの販売がメインで、画家に近い感覚のアーティストとしての立ち位置で勝負したいと思っているので、これからは白黒ももう少し勉強してみようかなと思う。自然が奇跡を見せてくれた時はなるべく忠実に、そうでもない日は自分なりの解釈である種の素材として使わせてもらう。それでもいいかなと思うようになった。そうしないとたまにしか来ない人には泣きたくなるような絶景でも「3年前のあの時のほうが良かったな〜」なんてことを言うようになって、毎日がどんどん不毛になっていく。毎日のように絶景を見ていることによるある種の病気だ。絶景病と名付けたい。絶景病の人は「今日は作品にならねぇな」が口癖だ。私はいつもの普通の富士山にも感動したい。

この辺りの立ち位置は人それぞれだと思うので、自分の考えを人に押し付けるようなことだけはしたくない。後から水平を直したくない人は直さなければいいし、トリミングしたくない人はしなければいい。JPEG撮って出しにこだわりたければそうすればいいし。フィルムにこだわりたければ使えばいい。もちろん全部逆でもいい。自分なりのこだわりを持つのは素敵だが、それだけが正解だと思って押し付けがましくなると単なるカルトになる。人は人、自分は自分。世の中に絶対に正しいことなんて無い。

色即是空
空即是色
色不異空
空不異色

所詮一切は空であるが、この世界の色はとても美しい。

合掌

無関心のすすめ

「愛の反対は憎しみではなく無関心」って言うけど、何か一つのことに没頭すると他のことは無関心になっちゃうよね。個人的には憎むぐらいなら無関心でいたい。適度に無関心になって距離をとる事が相容れない人と共存する道だと思う。批判されてもムキにならずに柳に風、そういうふうに生きていきたい。実際には修行が足りないので、批判されると脊椎反射で怒っちゃうんだけどね。でも性格的に怒りが持続しないようにできているらしく、長期に渡って憎しみを募らすようなことはない。

そもそも全ての存在を平等に愛するなんて私には不可能だ。それは多くの人にとっても同様だろう。だが、もし嫌っている人に対して0の愛を与えて無関心を貫き、本当に好きな人に対して大きな愛を与えることができたら、誰も憎まずに生きていける。これならば可能なんじゃないだろうか? まぁ、流石に最愛の人を惨殺されたりしたら無理かもしれない。でもそんな劇的な人生を送っている人は日本ではごく一部だろう。

もし人類の大部分がこうやって何も憎まずに憎む代わりに無関心になれば世界は平和じゃないか。ネットに溢れているヘイトには些かうんざりする。みんなちょっと簡単に人を憎み過ぎじゃないか? LOVE&PEACEを掲げておいて自分と違う思想の人を攻撃する人も散見する。そんなもんLOVE&PEACEじゃないだろう。

私を嫌いな人は私を無視すればいいし、私も嫌いな人を無視すれば良い。合わない人というのは必ずいる。相容れない思想というのも必ずある。憎んで殺してやろうとか思ったほうが愛に近いなんてあるわけ無い。そもそも全人類が同じ価値観や思想で統一されることはないだろうし、もしそうなったら愛の名を語った全体主義による恐怖政治が実態だろう。違いを楽しむ心の余裕がほしい。

世界を良い方向に変えようと思って批判するのは愚策だ。むしろ批判の連鎖が負のスパイラルを起こして世界は悪化する。批判するよりは無関心。人のポイ捨てを批判するならば自分でゴミ拾おう。韓国や中国を批判することを愛国だと勘違いしている人が多いように感じるが、本当の愛国というのは他国の批判ではなく日本の社会への貢献だろう。中国の軍事パレードに参加する自称平和主義者と同じぐらい嘘っぽい。私には偽愛国者と偽平和主義者の鍔迫り合いに見える。おっとこれは批判っぽいな。まだまだ修行が足りない。

人生は短い。嫌いなことを考えている時間を減らして好きなことを考えている時間を増やしたい。私もついつい批判したくなっちゃうことがあるので、これは自戒の念を込めて書いてみた。

Delayed GratificationとInstant Gratification

高年収層は便意我慢する傾向

便意を我慢する人のほうが平均年収が高いというような論旨の記事が出ていた。最初は馬鹿げた話だと一笑に付していたが、どうも気になる。はずがしながら最近だいぶトイレが近くなってしまったのだ。このまま行くと収入がどんどん下がってしまうのではないかという、恐怖心に駆られてこの事についてちょっと考えてみた。

Delayed gratificationというのは心理学の用語で「将来のより大きな成果のために、自己の衝動や感情をコントロールし、目先の欲求を辛抱する能力」という意味である。脳科学やポジティブサイコロジーの洋書を読んでいると頻出する単語なのだが、Wikiの日本語ページも無いし、英辞郎にも載っていないところをみると、どうも日本語訳がまだないらしい。

反対の意味の言葉はinstant gratificationになると思う。つまり「将来のことを考えると好ましくないのだが、自己の衝動や感情をコントロールすることができずに、目先の欲求に負けてしまうこと」になるだろう。instant gratificationの追求が極端にひどくなると衝動制御障害 (ICD (Impulse Control Disorder)) と呼ばれる精神疾患を患い、放火、窃盗、病的賭博などの反社会的行動を取るようになってしまうという。

偉人でもなければ精神疾患者でもない一般庶民の大多数は、instant gratificationにしばしば負けつつも、生活が崩壊するほどは負けていない人たちだと思う。たとえばジャンクフードの誘惑にしばしば負けて自分の理想とする体重よりもだいぶ重くなってしまっているとか、ついついリボ払いでクレジットカードを使ってしまい、貯金が一向にたまらないとか、健康を考えると煙草をやめたほうが良いのは分かっているが、どうしても禁煙できないとか、そういう人は多いと思う。

かくいう私ももう少し痩せたいと思いつつBMI27程度のプチ肥満状態が続いている。やはり一番の原因は小腹がすいたらすぐにジャンクフードを食べてしまっていることだろう。つまりinstant gratificationに負けているのだ。

私が自分の人生で一番痩せていた時期というのはインドにいた時期で、思えば当時は修行モード全開だった。断食はもちろん便意や尿意も極限まで我慢していた。あまりやり過ぎるのも、栄養失調や膀胱炎などのリスクがあって問題だと思うが、健康に問題ない程度に行う分にはdelayed gratificationを追求する上での訓練になるかもしれない。

トイレに行くことができずに不本意ながら尿や便を限界近くまで我慢した経験がある人はわかると思うが、あれは我慢している間は大変苦しいのだが、そのぶん放出するときの快感もまた大きい。

もちろん、便意を我慢することと収入との間に直接的な関係は無いと思うが、この習慣によりdelayed gratificationを追求する能力が向上する可能性はあると思う。そしてdelayed gratificationの適用範囲はこのような身体的な欲求に留まらない。

たとえば、医者になりたいので同級生たちが遊び呆けている間に勉強して、医者になってから高収入と社会的なステータスの高さをエンジョイするとか、同僚が通勤途中にスマホゲームで遊んでレアカードをゲットしようと夢中になっている間に、同じ時間を読書や資格勉強に費やして自分自身をレアな人材に育て上げるとか、そいうこともdelayed gratificationの顕れなのだ。だからdelayed gratificationを追求する能力を仮に「DG能力」とすると、便を我慢する習慣がある人は知らず知らずのうちにこのDG能力を強化していて、結果として高収入に繋がっているのかもしれない。

その一方で、大衆がinstant gratificationを求める傾向は年々加速しているようにも思われる。ジャンクフードやインスタント食品の氾濫は言うまでもないが、音楽にしてもヒット曲はイントロや間奏をできるだけ短くして、一番美味しいサビを1分以内に聴かせるようなものが多い。最近のテンポの良いハリウッド映画に慣れてしまうと、過去の名作を見ても途中で手持ち無沙汰になっていらいらして貧乏ゆすりをしてしまったりする。ベストセラー作家の東野圭吾の小説なども素晴らしくテンポがよく、文章の味わいを追求したり、情景描写に余計な文言を割いたりせずに、読者に素早く次のシーンを提供していく。手軽にできるブラウザゲームやソーシャルゲームの流行などもその一例と言っていいだろう。

そう考えると、自分の人生においてはdelayed gratificationを追求しつつ、自分の創作物や自分が提供するサービスは人々にinstant gratificationを提供するというのが、現在の世の中における成功の方程式なのかもしれない。

まぁ、私の人生にはちょっとdelayed gratificationが足りないと思われるので、ちょっとエクセサイズしてみようかと思う。とりあえずトイレにいくのを我慢しながらこの原稿を書いてみました。

“Delayed gratification is the key to success but make sure that your creations or services provide people with instant gratification.” – Yuga Kurita