モノクロームについて考えてみた

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Jubilee Church, Rome
Architect: Richard Meier
Taken with a Sony CyberShot and processed in B/W today.

ローマにいた時はコロッセオやサン・ピエトロ大聖堂のような歴史建築ばかり撮っていたので、たまには現代建築を撮ろうと思って辺鄙な郊外まで行って撮ったショット。東京で言えば東大和市みたいなところにある。バスの乗換えが複雑で辿り着くのがなかなか大変だった。ソニーのコンデジで撮ったJPEGを元に白黒に仕上げ直してみた。この写真を撮った時の光は酷く凡庸だったので、これをカラーで作品っぽく仕上げるのは不可能だ。

自然風景を毎日のように撮っていると、白黒というのは自然光が奇跡を見せなかった時の逃げ、というような感覚が生じてしまう。何だかんだと言って、自然が奇跡の色を演出した時の会心のショットを白黒にするのは勿体無い。

目で見た通りの光景を記録するのであればカラーを使うのが当然だろう。しかし、カラーだからといって別に目で見たとおりになるべく忠実に表現しなくてはならない、などというルールはない。ただニュートラルに記録するだけならばその人の作家性は無いということになってしまう。

休日しか来れない人がついついやり過ぎなぐらい派手に仕上げたくなる気持ちもわかる。私もそうでした。結果的には素人が見た限りでは本当の自然の色なのか後処理の色なのかわからないので、頻繁に撮っている人間からすれば平凡な日の風景をド派手に仕上げた人がネットでバズったりするのも避けられない問題だろう。とはいえど派手にするのでも技術の差がはっきりと存在していて、完全に色飽和を起こして破綻していたりするのもよくバズるのは少しだけ悲しい。

これは写真家というのはアーティストなのか技師(記録者)なのかという問題にも繋がるかもしれない。この辺りの定義ははっきりとしておらず曖昧模糊としているため、自分と違う考え方の人を非難する人もいる。

私はプリントの販売がメインで、画家に近い感覚のアーティストとしての立ち位置で勝負したいと思っているので、これからは白黒ももう少し勉強してみようかなと思う。自然が奇跡を見せてくれた時はなるべく忠実に、そうでもない日は自分なりの解釈である種の素材として使わせてもらう。それでもいいかなと思うようになった。そうしないとたまにしか来ない人には泣きたくなるような絶景でも「3年前のあの時のほうが良かったな〜」なんてことを言うようになって、毎日がどんどん不毛になっていく。毎日のように絶景を見ていることによるある種の病気だ。絶景病と名付けたい。絶景病の人は「今日は作品にならねぇな」が口癖だ。私はいつもの普通の富士山にも感動したい。

この辺りの立ち位置は人それぞれだと思うので、自分の考えを人に押し付けるようなことだけはしたくない。後から水平を直したくない人は直さなければいいし、トリミングしたくない人はしなければいい。JPEG撮って出しにこだわりたければそうすればいいし。フィルムにこだわりたければ使えばいい。もちろん全部逆でもいい。自分なりのこだわりを持つのは素敵だが、それだけが正解だと思って押し付けがましくなると単なるカルトになる。人は人、自分は自分。世の中に絶対に正しいことなんて無い。

色即是空
空即是色
色不異空
空不異色

所詮一切は空であるが、この世界の色はとても美しい。

合掌

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