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持続化給付金のまとめ(フリーランス編)

・2020年1月-12月の間に前年同月比で売上が50%以下の月がひと月でもあれば対象
つまり、4月の時点で申請できなくても今後影響が出て売り上げが半減した場合は申請できるということです。

・給付金は最大で100万円
計算の仕方は後述しますが、本業でやっている人はたいてい満額の100万円もらえます。

支給される額は「前年の総売上」から「前年同月比で50%以下の売上の月の売上 x 12」を引いた金額、または100万円の小さい方です。

たとえば去年1年間の売上が250万円、去年3月の売上が20万円で今年の3月の売上が10万円だった場合、250万円 – (10万円 x 12ヶ月) = 130万円となる。この場合100万円を超えるので、100万円の給付金を申請できる。

・申請はまだ先。4月最終週にWebメインで受け付ける予定。
窓口に殺到したら感染原因となるので当然といえば当然ですが、オンラインでの受付をメインにするとはなかなか日本政府も頑張っていると思います。

・必要書類は以下の3つ
①本人確認書類、
②2019年の確定申告書類の控え
③減収月の事業収入額を示した帳簿等

毎年、年が明けてから一生懸命帳簿をつけている人も、すぐに申請できるように第1四半期の帳簿付を完了させて待っていたほうが良いでしょう。

4/28追記:
➂については売上台帳だということが判明しました。

通帳の写しも必要になるようなので、いまのうちにスキャンしておいたほうが良さそうです。
地元県議会議員の情報によると5/1から受け付ける可能性が高いようです。
https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/kyufukin_kojin.pdf
https://www.meti.go.jp/covid-19/jizokuka-kyufukin.html

・ご相談は0570ー783183(平日・休日9:00~17:00)

私はすでに売上半減の月があるので、100万円申請できます。申請解禁と同時に動けるように準備して待つことにします。

日本政策金融公庫のほう(借金)は先月30日に申請したけどいまだ音沙汰なし。最悪、価格が暴騰しているスイッチとリングフィットアドベンチャーをヤフオクかメルカリでさばくかな・・・(;´∀`) 売っても転売じゃないよ。純粋にダイエット目的で買ってクリア寸前ですから。

これがもらえたら本当にありがたいです。みなさん頑張って生き延びましょう。

ソース情報

この記事は2020年4月13日に書きました。

プロの写真家・カメラマンという職業に将来性はあるのか?

昔はカメラというのは記念写真を撮るためのもので、作品を撮りたがる人は極めて少なかった。今はインスタ等のSNSの影響もあって作品として写真を撮る人は増えている。その影響もあって、カメラオタクや写真オタクは増えていて、CP+の入場者数も増え続けている。

が、一方でカメラの売上自体は落ちていて、市場も縮小している。とりわけ入門機とよばれる比較的安価な価格帯のカメラの売上の低下が著しい。記念写真的な用途であればスマホで十分なのだ。

縮小していく市場でメーカーは厳しい戦いを強いられている。当然ながら潤沢な予算を広告宣伝費に充てることができないので、近頃はハイアマをプロとして低賃金または無料で使うという風潮が目につく用になった。

これは売上が落ち続けているカメラ雑誌でも同様で、「プロが教える撮影テクニック50」みたいな企画に寄稿している人の大半は別に本業を持っていて、生活のために写真を撮っていない人たちだ。雑誌の世界では似たようなことが世界中で起こっている。かのTIME誌も無料で写真を使おうとカメラマンと交渉していたのがばれた。要するに有名カメラマンという職業は、名前は売れるが金にはならない名誉職になりつつある。

いわゆるハイアマの人たちは撮影テクニック等ではまったくプロに劣らないレベルになっているし、そもそも機材の進化が著しいので筋が良ければ1-2年でプロレベルの技能を身につけることができてしまう。

このあたりがプロカメラマンの悲しいところだ。たとえばプロのチェリストとアマチュアのチェリストの間にはマリアナ海溝よりも深い溝がある。3年間必死で練習してもプロレベルになることはない。全然レベルがちがうのだ。これはアスリートでも同じで、アマチュアのチャンピオンが全米オープンで優勝することはまずない。

しかし、写真の場合は実力の差があまりなく、場合によっては逆転現象も見られる。そんな状況でプロが取れる道はいくつかあるが、金にはならなくてもとりあえず名前と顔を売って、他で稼ぐという戦略がある。つまり、実際の収入はワークショップや写真教室、ガイド等で得るという戦略だ。作品を撮りたがる人は増えているのだから、当然ワークショップの需要も増している訳で、理にかなった戦略だ。

別の手段としては、名前は売れるけど金にならない仕事は一切せずに、金にはなるが名前は売れない仕事に専念するという手段だ。つまり名より実を取る。これは憧れる人があまりいないので、まだ稼ぐチャンスがある。

シャンタオ(xiantao)氏をご存知だろうか? PIXTAでトップの売上を誇る人だが知っている人は少ないだろう。2018年の彼の売上は3200万円で経費を引いた利益は2500万円だという。今も右肩上がりで売上は増えているそうだ。

CP+に登壇した「有名プロ写真家」の大半は、彼の売上の1/10も稼いでないだろう。上記の理由でそもそも写真で食っていない人たちが多数登壇するようになってきた。実際にはCP+はハイアマによるハイアマのための祭典になりつつある。それはそれで決して悪いことではないが、食っていけるだけ稼がなきゃプロではない、と私は思う。

また、別の手段としては、スチールでなく動画中心の活動に切り替える、という手もあるのだが、長くなってきたのでこれはまた別の機会に書こう。

結論を言うと、下記のいずれかに当てはまらない場合は「プロの有名写真家」を目指さないほうが良い。

・親が金持ちでそれなりの財産を相続する予定がある
・柔軟に休みが取れてそこそこ給料が良い仕事を本業にする
・配偶者が金持ちまたは高給取りで撮影活動に理解がある

要するに好きな作品を撮って、それを販売して、かつ生活していけるぐらいの利益を上げている人は殆ど存在しない。派手に活躍している人たちも赤字を垂れ流して、財産を崩して補填しているってパターンが多い。

ハイアマの皆さんは、有名大学卒業で大企業の正社員みたいないわゆるエリートが多いです。ブラックに勤めていたら趣味どころじゃないですからね。また、有名プロ写真家の中には親が金持ちでかなりの財産を相続したって人も多い。

夢のない話で申し訳ないですが、普通の境遇の人には厳しい世界です。

ストックで稼ぎたいならば、機材を揃えてモデルさんを雇って売れ筋を撮りまくって登録しまくる生活を5年ぐらい続ければ、3200万は無理でも500-1000万ぐらいは可能だと思います。しかし、ストックの場合は撮影にかける時間が1だとしたら、現像が1-2、登録作業が7-8ぐらいになり、副業と呼べるレベルになるのに最低でも2年ぐらいは掛かるので、普通の写真好き・カメラ好きの人は途中で心が折れちゃうでしょう。

e-Tax ID・パスワード方式の罠

別に反体制とか公務員が嫌いだとかそういうことはありません。が、一連の税務署とのやり取りには失望させられました。

今年からID ・パスワード方式というものが採用され、税務署まで行って本人確認すれば、インターネットから簡単に申告ができるようになる。という触れ込みだったので、早速最寄りの税務署(と言っても田舎なので30km以上離れている)まで行きました。

税務署に置いてあったWindowsのノートパソコンで入力したのですが、MACに慣れているので微妙に入力しづらい。入力が終わったものをプリントアウトして見せてもらった時に、自分の名前を誤変換していたことに気がついて、修正を要求したら若い担当者は対応不能なようで上司を連れてきた。

すぐには修正できないが一週間以内に修正して知らせる、とその上司が言うので、正しい名前と連絡先を告げて帰った。

この段階ですでに気になることがいくつかあった。申告フォームに記入中に担当者が後ろでずっと見ているのだ、しかも設定中のパスワードはアスタリスク(*)ではなく、そのまま出てくる。背後で人が見ている状態でパスワードを入力してもパスワードの意味が全く無いので、私が彼に見ないように指示をした。こんなの常識ですよね?

また本人確認もちゃんとしていない。一応マイナンバーカードも持っていってノートパソコンが置いてある机に置きながら作業したが、手にとって確認することはついぞなかった。あれじゃなりすましも可能なんじゃない? セキュリティ感覚の欠如が激しく、この段階ですでにこんな制度を使って大丈夫なのか? という疑念が湧いてくる。

一週間ほどして、例の上司から電話がかかってきた。「登録情報は修正できないが、申告書の名前は直しておいた」と言う。申告書が何を意味するのか不明なので、「じゃぁそれで納税手続きをしても問題ないんですね?」と質問しても、「申告書の名前は直しておいた」の一点張りで要領を得ない。どうやらこの人もよく理解できていないようだが、システムに登録された情報自体の修正は本人が行わないとならないようで、もう一度わざわざ大月まで行かないとならないらしい。

要するにこの税務署にはこの新制度をきちんと理解できている人が一人もいないのではないか? という疑念がわく。とりあえず今年は例年通り紙で申告することにしました。ちょっと恐ろしくて発行されたPWとIDは使えない。本人確認もせずに本名と違う名前で登録されてしまったままで直せないのも気分が悪い。

そして驚きなのがマイナンバーを申告書に同封しないとならないということ。郵送の途中で誰かが見ることもありえます。マイナンバーは人に見られないようにと言いながら、このような穴だらけの運用をする。郵送する際に厳重に封をして追跡サービスを利用すればリスクは減るだろうが、結構高い。

仕方ないから完成した書類は郵送ではなく直接届けに行って、ついでに登録情報を直そうと思う。遠いけどね。

そもそもなんのためのマイナンバーなんだろう? マイナンバーも入力して、タイプした個人情報と照合し、両者の間に違いがあればエラーが出るようなシステムにすれば、そもそもこんな問題起きない。

全国で何人ぐらいの人が間違った個人情報で登録されてしまったのだろうか?

P.S. 本日税務署まで行って紙の申告書を提出してきた。「本人がログインして訂正する必要があるという意味で、また来てくれとは言っていないが、上手く伝わらなかったようだ」と税務署員は言い張った。大嘘だ。証拠が残るように連絡は電話ではなくメールでしてほしい。いちいちゴネるのも面倒なのでおとなしく帰ってきたが、不信感が増した。

スマホのメモリも多めなことだし、通話内容を全部録音するアプリを入れておくかな。

サンタなんて夢じゃない

トランプ氏、7歳の子供に「まだサンタを信じてる?」

トランプ米大統領が7歳の子供に「7歳にもなってまだサンタを信じてるのか?」と言ったことが話題になった。例によって非難轟々だが、典型的な反応は「子供の夢を壊すのはけしからん」というようなものだ。

しかし、ここで使われているような「夢」という言葉の定義に私は違和感を感じる。つまり非現実的なファンタジーを夢と呼んでいるのだ。しかも子どもたちが自主的に「サンタクロース」という人物像を感得したわけでもなく、大人によるお仕着せにすぎない。お前はガキだからサンタでも信じてろ、という感じ。子供を対等の人間だと認めていないからそういうことができる。それが夢? 自分はまったく信じていないのに子供にサンタの存在を信じ込ませることが粋な行為? 私は承服しかねる。

こうやって子供の夢を守っているはずの大人たちも、たとえば自分の子供がYoutuberになりたいと言ったら、声高に反対する者が多いだろう。つまり彼らの頭の中では夢というのは完全に非現実であり、自分のリアルの生活では一切夢を追求せず、せいぜい宝くじを買うことを「夢」などと呼んでいるに過ぎない。

これはある面、極楽浄土の思想の頃からあまり変化していない現世否定主義であり、現実の人生は辛いから、子供のうちぐらいはせめてサンタクロースなどというファンタジーを信じさせてあげよう、ということだ。本人たちは親心だと信じているようだが、子供の可能性を過小評価しているだけではないだろうか?

「夢は現実世界で実際に叶えるもの」という価値観でこの件について考えるとむしろトランプのほうが正しいと思う。

そういう考え方に立つと、サンタクロースなどという非現実的な存在を信じ込むよりも、自分の置かれた現実を正確に認識し、夢を現実的な目標に落とし込み、そこに至る現実的な計画をたて、その計画に従って今日できることを積み重ねていける人間になったほうがずっと良い。

我々は資本主義社会に住んでいる。現在の人間社会で自分の(現実的な目標としての)夢を達成するためにまず必要になるのは、金だろう。贅沢をするのが目的ではない。金があれば自分の時間を作ることができる。そこではじめて本当に自分の夢を追求することができるようになる。金がなければ、生活のために自分の時間を費やさざるを得ない。サンタを夢と呼んでいる大人たちの現実がまさにそれだろう。つまり、幼い頃に基本的なファイナンシャルリテラシーを得ていた方が、夢を成就する可能性は高まる。

また、我々は法治国家に住んでいるのだから法律的な知識を増やしたほうが有利だろう。金があれば弁護士を雇うこともできるのでやはりお金は大事だ。金は目的ではなく手段として重要なのだ。

そして、科学とテクノロジーも同様に重要である。このような迷信を盲信するよりも、科学的思考法を身に着けテクノロジーを有効に活用できる人間になったほうが現実社会で夢を成就する可能性が高い。

もし、夢という概念が単なる現実逃避ではなく現実の延長線上に存在しているのであれば、サンタクロースの代わりに「金と法律と科学」を子供が興味を持つような形で教えたほうがずっと良いと思う。

そんな俗っぽいことは大人になってから覚えれば良い、と思うかもしれないけど、多くの場合、それでは手遅れなのだ。

今後の社会は更に貧富の差が広がり、医学の進歩により金持ちは今までの常識を遥かに超えた長寿を満喫し、貧者たちは奴隷のような存在になる可能性が高い。子供に幸せな大人に育ってほしいのか、それとも子供のうちだけ幸せであればそれで良いのか?

サンタなんて夢じゃない。

アル中と風景写真の微妙な関係

日本のコンテンツの国際的な需要って春の桜が圧倒的で、クライアントからの撮影依頼や通訳ガイドの依頼に自分の撮影が重なってめちゃくちゃ忙しい。最近は秋の需要も増えていて、すでに紅葉の時期の予定が埋まりつつある。

自分の場合、春と秋以外は頑張って撮ってもあまり金にならないし、夏場は出かけようにも避暑地に住んでいるので近所が常に混雑しているし、夏場に家にいないんだったらなんのために避暑地に住んでいるのかよくわからない。たまに所用で東京にいくとほんと糞暑くてうんざりする。暑いの苦手なんですよ。人混みも。夏の東京はダブルで辛い。

というわけで、梅雨あたりから編集や登録等、家での地道な作業が増える。が、これがつまらない。ほんとつまらない。うんざりする。で、結局、酒の量が増えてアル中気味になる。私の場合、アル中を避ける唯一の手段が寝食を忘れてゲームに嵌まることなので、結局8月は家でずっとドラクエ11とモンハンワールドしてました(恥)。

アル中って要するに現実逃避ですから。ゲームと通底するところがあるんですよ。しかし、決定的な違いがあって、アルコールは習慣的に飲む量が増えれば増えるほど中毒になるけど、ゲームの場合はプレイし始めてすぐに中毒度がピークに達して、カンストする頃には飽き飽きしている。だから1つのゲームに飽きて次のゲームに移るタイミングで真人間に戻るチャンスが来る。

自分の場合、ゲームに嵌まると廃人プレイしちゃうんで10年以上やめてたんですけどね。未だに40時間ぐらい睡眠とらずにぶっ通しでゲームしちゃう自分にちょっと感動した。ゲームってほんとコスパ良いよね。映画100本とかに相当する時間のエンターテイメント体験を数千円で提供するんだもん。2つ合わせてもビール20本ぐらい? すごい。

制作に関連したみなさまどうもありがとうございました。おかげさまでアル中が(一時的に)治りました。フルダイブのMMORPGが完成した頃に、廃人プレイできるように今のうちから経済的な基盤を確立しないとね。それまでは死ねない。地道な作業、がんばろう。アル中になりそうになったらまたゲームしよう。

ま、涼しくなってきたので撮影がんばります。ってか撮影は頑張る必要ないんだよね、楽しいから。タグ付け・登録作業担当のパートさんを雇えるようになる日を夢想しながら、今日も地道に働くか。雨だし。

Facebook株急落について思うこと

Facebook株が急落–時価総額が1日で約13兆円減少

Facebook株の急落で真っ先に気になったのが、360VRの将来がどうなるのかということ。現在、静止画と動画で稼いでいるが、360VRコンテンツへの参入を検討していたので将来が気になる。FacebookはOculusを買収していて360VRやる気まんまんなんですよね。まぁ、本業のSNSビジネスが頭打ちならば投資は継続するのかな。

しかし急落したと言っても株価はまだ176ドルある。確か株式を公開したときは40ドルとか20ドルぐらいだったような気がする。当時はGoogle+をメインSNSとして利用していたこともあって、周りはアンチFacebookばかり、どうせすぐに公開価格割れするとか一時的なバブルだとかそんな発言が多かったけど、買っておけばよかったなぁ。

そのGoogleについても同様で、私は翻訳業界にいたこともあって1998年、つまり創業直後から使っているんですよね。Googleが現れるまではAlta Vistaを使っていた。しかしGoogleが株を公開したときも買わなかったんですよ。Amazonも日本でサービスを開始したときに同時に利用し始めたのに株を買うという発想がなかった。はぁ。

よく老後に備えて貯金とか言うけど、自分が好きな分野とか得意な分野に限って投資するのが一番良いと思う。いま30年前の自分に一言アドバイスできるとしたら「自分が好きな分野に投資しろ」と言いますね。もう一言いって良いなら「10年単位で物事を考えろ」かな。一年の計をたてるひとは多いけど、10年単位で考えられる人は少ないんだよね。一発逆転とか一攫千金とか浮ついた考えを若いうちに捨てることができていたら・・・ま、生来の性格ゆえ、無理かな(笑)

まだ私もくたばりかけてはいないので、これからのことを考えてどこかに投資しよう。360VRのコンテンツを制作するというのも時間とエネルギーの投資だよなぁ。この分野はテクノロジーの伸びしろが大きいのでいまInsta360 Proクラスで撮っても5年経ったら解像度が不十分ってことになるかもしれない。

要するに未来のことはわからないけど、どこかに賭けないといけないってことですね。たとえ公務員になったとしても、本命馬の複勝を買っているような人生というだけで、絶対に安泰というわけではない。

田舎暮らしは本当に悪夢なのか?

恐怖の実話!悪夢と化した「夢の田舎暮らし」という東洋経済オンラインの記事がプチ炎上しているようだ。東洋経済オンラインとしてもアクセスを集めたほうが広告収入が増えるだろうから、わざと極端な事例を取り上げてセンセーショナルな見出しを掲げているのだろう。ビジネスだからある程度は仕方がない。が、実際に東京都から山梨県に引っ越してきた身としてはちょっと釈然としない点もあるので、自分の体験談と考えを書いておきたい。

私が富士北麓に住んで5年が経過した。なんだまだ5年か、と思うかもしれないが、自由業の気楽さから、私は飽きるとすぐに住居を変えてきたので、5年間同じ地域に住むのは珍しい。富士北麓に引っ越してくる前は新宿に住んでいたし、その前はイタリアのローマに住んでいた。現時点ではこの地域での生活を気に入っていし、満足もしている。

たぶんこの問題は、小さな子供がいるのか、地元で就職する必要があるのか、という点が重要なファクターになると思う。私のようにもともとが翻訳者で写真家およびビデオグラファーとしても収入を得ている自由業者で、しかも子供がいない場合、地元との接点は限りなくゼロに設定できる。あるいはSNSや趣味等を通して知り合った同じ地域の住民とゆるく付き合う程度で問題ない。ちょっと特殊なケースなので、参考にはならないかもしれない。つまり私の場合は、本質的にどこに住んでも大差ない。

でもこの記事を読んだ人が山梨県全体に対してネガティブな感情を抱いて、移住先から除外してしまうようだとちょっと悲しい。少なくとも私の経験の範囲内では嫌なことは殆どない。強いて言えば冬の寒さが厳しすぎるのが嫌だが、夏が涼しいので仕方がない。

あまり地元の人達との接点はなかったが、例外として大家さんがいた。この東洋経済オンラインの記事の人はろくに調べもせずに地縁もない場所にいきなり家を買って、それでうまくいかないと不平不満を漏らしているようだが、どうなんだろう? ちょっと慎重さが足りないんじゃない? 私はとりあえず賃貸を借りましたが、正解だった思います。

富士吉田では大明見地区に住んでいました。ここは昔は独立した町だったそうです。富士吉田界隈に詳しい人はわかると思いますが、吉田の中でも周辺部で上吉田・下吉田あたりよりもより田舎度が高い地域です。大家さんはそのあたりの旧家だったのですが、そこでワンックション入ったおかげで、地元の面倒な用事はまったく入りませんでした。消防団も近所に建物があったけど、まったく勧誘もされなかったし、ゴミも普通に捨てられたし、特に大きな問題はありませんでした。

たぶん祭りとかに積極的に参加したい人とかは寂しいんでしょうが、無理ですよ。そんなの。大船駅の近くのギリギリで横浜市栄区内に住んでいた頃、地元神社の祭りにちょっと顔を出したことがありましたが、そこですら完全によそ者扱いで疎外感を感じるような状況でした。温かくコミュニティに迎え入れてもらいたいけど、いろいろと面倒な義務を負うのは嫌だってのは勝手すぎるでしょう。面倒なのなしが良いです。

大明見の生活での唯一の問題は暴走族。毎朝必ず家の前の交差点で爆音をふかしていました。それだけは本当に嫌でしたね。冬場になると路面が凍るので来なくなるのが救いでしたが、その分寒かった・・・ 彼らの徘徊ルートとか住んでみないとわからないですから、とりあえずは賃貸がいいですよ。田舎には暴走族がつきもので、親子二代ってのが普通ですから。自分の子供の中学校の卒業式のために特攻服を親が用意したとかいう話も普通にあります。東京から来た人間の感覚では極めてダサいのですが、彼らは未だにかっこいいと思っているようで、この調子で行くと、3代、4 代・・・と代を重ねて歌舞伎のような日本の伝統になってしまうかもしれません。

その後は山中湖村の別荘地に引っ越しました。結局、別荘地に落ち着いた、という点ではこの人と同じですね。家の場合は知り合いに別荘送を売りたがっている人がいて、一年ほど賃貸で住んで、購入を決断した場合はその間の家賃を頭金にするという条件で借りました。とりあえず賃貸で住んでいる間に地元での情報網を作り上げておくと、こういうお得な話もみつかります。賃貸で気をつけるのは入居前にしっかりと写真を撮っておくことですね。この地域では容赦なく敷金プラスアルファを請求してくるケースがけっこうあるようです。

で、別荘地での住心地はどうかというと、更に良いです。本当に自然の中だし、ゴミは24時間何時でも出せるし、管理費もそれほど高くない。山中湖村は富士吉田より更に寒いので冬の暖房費で3万円以上かかるのは普通ですが、トータルで考えるとかなり快適です。なによりも嬉しいのは、暴走族や選挙カーが侵入してこないこと。一番の騒音は北富士演習場から聞こえる砲撃の音ですが、個人的にはあまり気になりません。山中湖村の別荘地も湖の北側ではもう少し静かだと思われます。が、坂がこちら側よりも厳しいので、冬場はジムニー必須かもしれませんね。家のあたりだとハスラーでもなんとかなります。

だらだらと書いてしまいましたが、まとめるとこうなります。

・まずは賃貸で住む。

・別荘地または新興住宅地に住む。

常識的に考えて、限界集落になんの縁もない人間がいきなり入っていって、うまくいく筈ないですよね。文化人類学的な好奇心が強い場合は別ですが。上の2点に留意すれば田舎暮らしって結構簡単だと思いますよ。なにしろ今はアマゾンがありますから、まったく不便を感じません。

 

無関心のすすめ

「愛の反対は憎しみではなく無関心」って言うけど、何か一つのことに没頭すると他のことは無関心になっちゃうよね。個人的には憎むぐらいなら無関心でいたい。適度に無関心になって距離をとる事が相容れない人と共存する道だと思う。批判されてもムキにならずに柳に風、そういうふうに生きていきたい。実際には修行が足りないので、批判されると脊椎反射で怒っちゃうんだけどね。でも性格的に怒りが持続しないようにできているらしく、長期に渡って憎しみを募らすようなことはない。

そもそも全ての存在を平等に愛するなんて私には不可能だ。それは多くの人にとっても同様だろう。だが、もし嫌っている人に対して0の愛を与えて無関心を貫き、本当に好きな人に対して大きな愛を与えることができたら、誰も憎まずに生きていける。これならば可能なんじゃないだろうか? まぁ、流石に最愛の人を惨殺されたりしたら無理かもしれない。でもそんな劇的な人生を送っている人は日本ではごく一部だろう。

もし人類の大部分がこうやって何も憎まずに憎む代わりに無関心になれば世界は平和じゃないか。ネットに溢れているヘイトには些かうんざりする。みんなちょっと簡単に人を憎み過ぎじゃないか? LOVE&PEACEを掲げておいて自分と違う思想の人を攻撃する人も散見する。そんなもんLOVE&PEACEじゃないだろう。

私を嫌いな人は私を無視すればいいし、私も嫌いな人を無視すれば良い。合わない人というのは必ずいる。相容れない思想というのも必ずある。憎んで殺してやろうとか思ったほうが愛に近いなんてあるわけ無い。そもそも全人類が同じ価値観や思想で統一されることはないだろうし、もしそうなったら愛の名を語った全体主義による恐怖政治が実態だろう。違いを楽しむ心の余裕がほしい。

世界を良い方向に変えようと思って批判するのは愚策だ。むしろ批判の連鎖が負のスパイラルを起こして世界は悪化する。批判するよりは無関心。人のポイ捨てを批判するならば自分でゴミ拾おう。韓国や中国を批判することを愛国だと勘違いしている人が多いように感じるが、本当の愛国というのは他国の批判ではなく日本の社会への貢献だろう。中国の軍事パレードに参加する自称平和主義者と同じぐらい嘘っぽい。私には偽愛国者と偽平和主義者の鍔迫り合いに見える。おっとこれは批判っぽいな。まだまだ修行が足りない。

人生は短い。嫌いなことを考えている時間を減らして好きなことを考えている時間を増やしたい。私もついつい批判したくなっちゃうことがあるので、これは自戒の念を込めて書いてみた。

Delayed GratificationとInstant Gratification

高年収層は便意我慢する傾向

便意を我慢する人のほうが平均年収が高いというような論旨の記事が出ていた。最初は馬鹿げた話だと一笑に付していたが、どうも気になる。はずがしながら最近だいぶトイレが近くなってしまったのだ。このまま行くと収入がどんどん下がってしまうのではないかという、恐怖心に駆られてこの事についてちょっと考えてみた。

Delayed gratificationというのは心理学の用語で「将来のより大きな成果のために、自己の衝動や感情をコントロールし、目先の欲求を辛抱する能力」という意味である。脳科学やポジティブサイコロジーの洋書を読んでいると頻出する単語なのだが、Wikiの日本語ページも無いし、英辞郎にも載っていないところをみると、どうも日本語訳がまだないらしい。

反対の意味の言葉はinstant gratificationになると思う。つまり「将来のことを考えると好ましくないのだが、自己の衝動や感情をコントロールすることができずに、目先の欲求に負けてしまうこと」になるだろう。instant gratificationの追求が極端にひどくなると衝動制御障害 (ICD (Impulse Control Disorder)) と呼ばれる精神疾患を患い、放火、窃盗、病的賭博などの反社会的行動を取るようになってしまうという。

偉人でもなければ精神疾患者でもない一般庶民の大多数は、instant gratificationにしばしば負けつつも、生活が崩壊するほどは負けていない人たちだと思う。たとえばジャンクフードの誘惑にしばしば負けて自分の理想とする体重よりもだいぶ重くなってしまっているとか、ついついリボ払いでクレジットカードを使ってしまい、貯金が一向にたまらないとか、健康を考えると煙草をやめたほうが良いのは分かっているが、どうしても禁煙できないとか、そういう人は多いと思う。

かくいう私ももう少し痩せたいと思いつつBMI27程度のプチ肥満状態が続いている。やはり一番の原因は小腹がすいたらすぐにジャンクフードを食べてしまっていることだろう。つまりinstant gratificationに負けているのだ。

私が自分の人生で一番痩せていた時期というのはインドにいた時期で、思えば当時は修行モード全開だった。断食はもちろん便意や尿意も極限まで我慢していた。あまりやり過ぎるのも、栄養失調や膀胱炎などのリスクがあって問題だと思うが、健康に問題ない程度に行う分にはdelayed gratificationを追求する上での訓練になるかもしれない。

トイレに行くことができずに不本意ながら尿や便を限界近くまで我慢した経験がある人はわかると思うが、あれは我慢している間は大変苦しいのだが、そのぶん放出するときの快感もまた大きい。

もちろん、便意を我慢することと収入との間に直接的な関係は無いと思うが、この習慣によりdelayed gratificationを追求する能力が向上する可能性はあると思う。そしてdelayed gratificationの適用範囲はこのような身体的な欲求に留まらない。

たとえば、医者になりたいので同級生たちが遊び呆けている間に勉強して、医者になってから高収入と社会的なステータスの高さをエンジョイするとか、同僚が通勤途中にスマホゲームで遊んでレアカードをゲットしようと夢中になっている間に、同じ時間を読書や資格勉強に費やして自分自身をレアな人材に育て上げるとか、そいうこともdelayed gratificationの顕れなのだ。だからdelayed gratificationを追求する能力を仮に「DG能力」とすると、便を我慢する習慣がある人は知らず知らずのうちにこのDG能力を強化していて、結果として高収入に繋がっているのかもしれない。

その一方で、大衆がinstant gratificationを求める傾向は年々加速しているようにも思われる。ジャンクフードやインスタント食品の氾濫は言うまでもないが、音楽にしてもヒット曲はイントロや間奏をできるだけ短くして、一番美味しいサビを1分以内に聴かせるようなものが多い。最近のテンポの良いハリウッド映画に慣れてしまうと、過去の名作を見ても途中で手持ち無沙汰になっていらいらして貧乏ゆすりをしてしまったりする。ベストセラー作家の東野圭吾の小説なども素晴らしくテンポがよく、文章の味わいを追求したり、情景描写に余計な文言を割いたりせずに、読者に素早く次のシーンを提供していく。手軽にできるブラウザゲームやソーシャルゲームの流行などもその一例と言っていいだろう。

そう考えると、自分の人生においてはdelayed gratificationを追求しつつ、自分の創作物や自分が提供するサービスは人々にinstant gratificationを提供するというのが、現在の世の中における成功の方程式なのかもしれない。

まぁ、私の人生にはちょっとdelayed gratificationが足りないと思われるので、ちょっとエクセサイズしてみようかと思う。とりあえずトイレにいくのを我慢しながらこの原稿を書いてみました。

“Delayed gratification is the key to success but make sure that your creations or services provide people with instant gratification.” – Yuga Kurita

プロのストリートフォトグラファーという職業は存在すのか?

昨年、知人が一部上場企業を退社して、プロのストリートフォトグラファーを目指しだした。彼はとても写真が上手だ。Street /Candidという分野に限って言えば世界でもトップクラスの実力と言っても過言ではないと思う。

私が彼と飲んだ時には彼はすでに仕事を辞めていた。基本的に私は仕事を辞めて夢を追うような人が好きだ。しかし、その時わたしが思ったのは、プロのストリートフォトグラファーになると言っても、果たしてそんな職業が本当に存在しているのだろうか? という疑念だ。

もちろん森山大道さんのようにストリートフォトでのしあがった人もいるが、今とは時代が違う。その森山大道さんにしても最近では客員教授や講師として後進を指導することが主要な活動になっているようだ。最近は肖像権の侵害が声高に非難されるようになった。この傾向は今後も強まっていくと思う。強い逆風が吹いている分野だ。どんなに才能豊かな人間でも時代の流れに逆らって成功をおさめるのは難しい。

しかし、どうしてもストリートフォトグラフィーをメインの活動としてやっていきたいならば、私ならこうするだろう。

1) 海外で有名になる(肖像権の問題もあって国内での活動は制限されると思う)
・海外で写真集出版
・海外で個展
2) 有名になったら生徒を集めて月謝を主要な収入源とする

写真家にかぎらず、書道家であれ画家であれ、プロのアーティストだと思われている人の多くは生徒からの謝礼で生活を立てている。あるいは実家や配偶者が裕福で経済的な心配をする必要がない人が多い。写真の場合はライターを兼業したりツアーやガイド関連のビジネスに関わる人もいる。プリントや写真集の販売といった「純粋に写真家としての収入」がメインのプロ写真家は少ない。

風景と違ってストリートではプリントの販売は難しいだろう。見ず知らずの人の顔がばっちりと写っている写真を額装して飾りたがる人は少ない。クライアントからストリートでの撮影を依頼されるケースもありそうもない。写真集は多少の現実味があるが、日本の出版社はトラブルを恐れて及び腰になるだろう。そもそも写真集自体が売れないので、ストリートにかぎらず出版が難しくなっている。しかし、海外ならまだ可能性はあるだろう。

「プロになるって、具体的にどういう計画なんです?」と彼に訊いたら、「とにかく一日5000枚撮ってやる」と言っていた。そういう問題では無いだろうと思った。まず目的地とルートを決めてから一生懸命ペダルを漕ぐべきだ。しかし、彼はとにかくペダルを漕ぎまくると言った。それでは永遠に目的地にたどり着かない。

しかし、実際に一日5000枚撮ってたころの彼の写真は凄かった。ひょっとしたら奇跡が起こって、感動したお金持ちがパトロンになってくれる可能性もあるかもしれない、とさえ思った。しかし、貯蓄が尽きて雇用保険も切れると生活に追われるようになり、とたんに撮る枚数が減って、それに応じて写真のレベルも落ちてしまった。

私の周りには写真にハマって仕事をやめてしまった人が結構いる。そういう人たちは思い切ったことをするだけあって、みんな写真の実力は高い。しかし、写真が上手ければプロとして稼げるという単純なものではない。仕事を辞めて背水の陣を敷くのも時として有効だと思うが、具体的な計画と2−3年は食べていけるぐらいの蓄えがないのならば、考えなおしたほうが良いように思われる。

先日も文芸翻訳家について書いたときに述べたが、そもそも、目指している職業が本当に実在しているのか? これからも存在し続けるのか? ということはよく考えたほうが良いと思う。どんなに極めても、たとえ世界一になっても、生計を立てるだけの収入が得られない分野というのも存在する。もちろん自分がその道で唯一のプロになるのだ、という気骨を持てるのならば素晴らしいと思う。

「好きなことをやれ」というのは正しい。しかし、それだけでは不十分ではないだろうか? 情熱、適正、収入の3条件を高い次元で満たすのが天職だと思う。「才能」という言葉を安易に使うのは気が引けるが、どれだけ好きでも向いていないこともある。それに適正があれば上達も早く、努力自体が楽しくなって努力だと感じなくなるので、やはりある程度の適性は必須だろう。情熱と適正という2つの要素を満たしていても、お金にならないことでトップになっても職業にはできない。

私は最初から会社勤めにはまったく興味がなく。放浪生活から帰国した後は少しだけ勤めて直ぐにフリーの翻訳者になった。そしてだらだらと「名盤を作る」という夢を追ってきた訳だが、写真を始めてたった2−3年でプロとして活動するようになった今ではなぜ成功しなかったのかよく分かる。悔しいが音楽に関してはシンガー・プレイヤーとしての適性が足りなかったと認めざるをえない。パフォーマーとしての自分の適性に早い時期に見切りをつけて、作曲とプロデュースに専念していればもう少し可能性もあったかもしれない。10年、20年と夢を追い続けるとやめるにやめられなくなる。「この山にこんなに時間を掛けて登ったのに、今さら他の山に登るの?」という考えが浮かんでしまう。

一意専心で遮二無二に3年やってまったく結果が出ない場合は諦めたほうが良いと思う。遮二無二にできない場合はそもそも情熱が足りない。極めてもお金にならない分野は、自分の時間を作りやすく且つあまり苦にならない本業を持って、気合の入った趣味にするのが良いと思う。