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無関心のすすめ

「愛の反対は憎しみではなく無関心」って言うけど、何か一つのことに没頭すると他のことは無関心になっちゃうよね。個人的には憎むぐらいなら無関心でいたい。適度に無関心になって距離をとる事が相容れない人と共存する道だと思う。批判されてもムキにならずに柳に風、そういうふうに生きていきたい。実際には修行が足りないので、批判されると脊椎反射で怒っちゃうんだけどね。でも性格的に怒りが持続しないようにできているらしく、長期に渡って憎しみを募らすようなことはない。

そもそも全ての存在を平等に愛するなんて私には不可能だ。それは多くの人にとっても同様だろう。だが、もし嫌っている人に対して0の愛を与えて無関心を貫き、本当に好きな人に対して大きな愛を与えることができたら、誰も憎まずに生きていける。これならば可能なんじゃないだろうか? まぁ、流石に最愛の人を惨殺されたりしたら無理かもしれない。でもそんな劇的な人生を送っている人は日本ではごく一部だろう。

もし人類の大部分がこうやって何も憎まずに憎む代わりに無関心になれば世界は平和じゃないか。ネットに溢れているヘイトには些かうんざりする。みんなちょっと簡単に人を憎み過ぎじゃないか? LOVE&PEACEを掲げておいて自分と違う思想の人を攻撃する人も散見する。そんなもんLOVE&PEACEじゃないだろう。

私を嫌いな人は私を無視すればいいし、私も嫌いな人を無視すれば良い。合わない人というのは必ずいる。相容れない思想というのも必ずある。憎んで殺してやろうとか思ったほうが愛に近いなんてあるわけ無い。そもそも全人類が同じ価値観や思想で統一されることはないだろうし、もしそうなったら愛の名を語った全体主義による恐怖政治が実態だろう。違いを楽しむ心の余裕がほしい。

世界を良い方向に変えようと思って批判するのは愚策だ。むしろ批判の連鎖が負のスパイラルを起こして世界は悪化する。批判するよりは無関心。人のポイ捨てを批判するならば自分でゴミ拾おう。韓国や中国を批判することを愛国だと勘違いしている人が多いように感じるが、本当の愛国というのは他国の批判ではなく日本の社会への貢献だろう。中国の軍事パレードに参加する自称平和主義者と同じぐらい嘘っぽい。私には偽愛国者と偽平和主義者の鍔迫り合いに見える。おっとこれは批判っぽいな。まだまだ修行が足りない。

人生は短い。嫌いなことを考えている時間を減らして好きなことを考えている時間を増やしたい。私もついつい批判したくなっちゃうことがあるので、これは自戒の念を込めて書いてみた。

Delayed GratificationとInstant Gratification

高年収層は便意我慢する傾向

便意を我慢する人のほうが平均年収が高いというような論旨の記事が出ていた。最初は馬鹿げた話だと一笑に付していたが、どうも気になる。はずがしながら最近だいぶトイレが近くなってしまったのだ。このまま行くと収入がどんどん下がってしまうのではないかという、恐怖心に駆られてこの事についてちょっと考えてみた。

Delayed gratificationというのは心理学の用語で「将来のより大きな成果のために、自己の衝動や感情をコントロールし、目先の欲求を辛抱する能力」という意味である。脳科学やポジティブサイコロジーの洋書を読んでいると頻出する単語なのだが、Wikiの日本語ページも無いし、英辞郎にも載っていないところをみると、どうも日本語訳がまだないらしい。

反対の意味の言葉はinstant gratificationになると思う。つまり「将来のことを考えると好ましくないのだが、自己の衝動や感情をコントロールすることができずに、目先の欲求に負けてしまうこと」になるだろう。instant gratificationの追求が極端にひどくなると衝動制御障害 (ICD (Impulse Control Disorder)) と呼ばれる精神疾患を患い、放火、窃盗、病的賭博などの反社会的行動を取るようになってしまうという。

偉人でもなければ精神疾患者でもない一般庶民の大多数は、instant gratificationにしばしば負けつつも、生活が崩壊するほどは負けていない人たちだと思う。たとえばジャンクフードの誘惑にしばしば負けて自分の理想とする体重よりもだいぶ重くなってしまっているとか、ついついリボ払いでクレジットカードを使ってしまい、貯金が一向にたまらないとか、健康を考えると煙草をやめたほうが良いのは分かっているが、どうしても禁煙できないとか、そういう人は多いと思う。

かくいう私ももう少し痩せたいと思いつつBMI27程度のプチ肥満状態が続いている。やはり一番の原因は小腹がすいたらすぐにジャンクフードを食べてしまっていることだろう。つまりinstant gratificationに負けているのだ。

私が自分の人生で一番痩せていた時期というのはインドにいた時期で、思えば当時は修行モード全開だった。断食はもちろん便意や尿意も極限まで我慢していた。あまりやり過ぎるのも、栄養失調や膀胱炎などのリスクがあって問題だと思うが、健康に問題ない程度に行う分にはdelayed gratificationを追求する上での訓練になるかもしれない。

トイレに行くことができずに不本意ながら尿や便を限界近くまで我慢した経験がある人はわかると思うが、あれは我慢している間は大変苦しいのだが、そのぶん放出するときの快感もまた大きい。

もちろん、便意を我慢することと収入との間に直接的な関係は無いと思うが、この習慣によりdelayed gratificationを追求する能力が向上する可能性はあると思う。そしてdelayed gratificationの適用範囲はこのような身体的な欲求に留まらない。

たとえば、医者になりたいので同級生たちが遊び呆けている間に勉強して、医者になってから高収入と社会的なステータスの高さをエンジョイするとか、同僚が通勤途中にスマホゲームで遊んでレアカードをゲットしようと夢中になっている間に、同じ時間を読書や資格勉強に費やして自分自身をレアな人材に育て上げるとか、そいうこともdelayed gratificationの顕れなのだ。だからdelayed gratificationを追求する能力を仮に「DG能力」とすると、便を我慢する習慣がある人は知らず知らずのうちにこのDG能力を強化していて、結果として高収入に繋がっているのかもしれない。

その一方で、大衆がinstant gratificationを求める傾向は年々加速しているようにも思われる。ジャンクフードやインスタント食品の氾濫は言うまでもないが、音楽にしてもヒット曲はイントロや間奏をできるだけ短くして、一番美味しいサビを1分以内に聴かせるようなものが多い。最近のテンポの良いハリウッド映画に慣れてしまうと、過去の名作を見ても途中で手持ち無沙汰になっていらいらして貧乏ゆすりをしてしまったりする。ベストセラー作家の東野圭吾の小説なども素晴らしくテンポがよく、文章の味わいを追求したり、情景描写に余計な文言を割いたりせずに、読者に素早く次のシーンを提供していく。手軽にできるブラウザゲームやソーシャルゲームの流行などもその一例と言っていいだろう。

そう考えると、自分の人生においてはdelayed gratificationを追求しつつ、自分の創作物や自分が提供するサービスは人々にinstant gratificationを提供するというのが、現在の世の中における成功の方程式なのかもしれない。

まぁ、私の人生にはちょっとdelayed gratificationが足りないと思われるので、ちょっとエクセサイズしてみようかと思う。とりあえずトイレにいくのを我慢しながらこの原稿を書いてみました。

“Delayed gratification is the key to success but make sure that your creations or services provide people with instant gratification.” – Yuga Kurita

プロのストリートフォトグラファーという職業は存在すのか?

昨年、知人が一部上場企業を退社して、プロのストリートフォトグラファーを目指しだした。彼はとても写真が上手だ。Street /Candidという分野に限って言えば世界でもトップクラスの実力と言っても過言ではないと思う。

私が彼と飲んだ時には彼はすでに仕事を辞めていた。基本的に私は仕事を辞めて夢を追うような人が好きだ。しかし、その時わたしが思ったのは、プロのストリートフォトグラファーになると言っても、果たしてそんな職業が本当に存在しているのだろうか? という疑念だ。

もちろん森山大道さんのようにストリートフォトでのしあがった人もいるが、今とは時代が違う。その森山大道さんにしても最近では客員教授や講師として後進を指導することが主要な活動になっているようだ。最近は肖像権の侵害が声高に非難されるようになった。この傾向は今後も強まっていくと思う。強い逆風が吹いている分野だ。どんなに才能豊かな人間でも時代の流れに逆らって成功をおさめるのは難しい。

しかし、どうしてもストリートフォトグラフィーをメインの活動としてやっていきたいならば、私ならこうするだろう。

1) 海外で有名になる(肖像権の問題もあって国内での活動は制限されると思う)
・海外で写真集出版
・海外で個展
2) 有名になったら生徒を集めて月謝を主要な収入源とする

写真家にかぎらず、書道家であれ画家であれ、プロのアーティストだと思われている人の多くは生徒からの謝礼で生活を立てている。あるいは実家や配偶者が裕福で経済的な心配をする必要がない人が多い。写真の場合はライターを兼業したりツアーやガイド関連のビジネスに関わる人もいる。プリントや写真集の販売といった「純粋に写真家としての収入」がメインのプロ写真家は少ない。

風景と違ってストリートではプリントの販売は難しいだろう。見ず知らずの人の顔がばっちりと写っている写真を額装して飾りたがる人は少ない。クライアントからストリートでの撮影を依頼されるケースもありそうもない。写真集は多少の現実味があるが、日本の出版社はトラブルを恐れて及び腰になるだろう。そもそも写真集自体が売れないので、ストリートにかぎらず出版が難しくなっている。しかし、海外ならまだ可能性はあるだろう。

「プロになるって、具体的にどういう計画なんです?」と彼に訊いたら、「とにかく一日5000枚撮ってやる」と言っていた。そういう問題では無いだろうと思った。まず目的地とルートを決めてから一生懸命ペダルを漕ぐべきだ。しかし、彼はとにかくペダルを漕ぎまくると言った。それでは永遠に目的地にたどり着かない。

しかし、実際に一日5000枚撮ってたころの彼の写真は凄かった。ひょっとしたら奇跡が起こって、感動したお金持ちがパトロンになってくれる可能性もあるかもしれない、とさえ思った。しかし、貯蓄が尽きて雇用保険も切れると生活に追われるようになり、とたんに撮る枚数が減って、それに応じて写真のレベルも落ちてしまった。

私の周りには写真にハマって仕事をやめてしまった人が結構いる。そういう人たちは思い切ったことをするだけあって、みんな写真の実力は高い。しかし、写真が上手ければプロとして稼げるという単純なものではない。仕事を辞めて背水の陣を敷くのも時として有効だと思うが、具体的な計画と2−3年は食べていけるぐらいの蓄えがないのならば、考えなおしたほうが良いように思われる。

先日も文芸翻訳家について書いたときに述べたが、そもそも、目指している職業が本当に実在しているのか? これからも存在し続けるのか? ということはよく考えたほうが良いと思う。どんなに極めても、たとえ世界一になっても、生計を立てるだけの収入が得られない分野というのも存在する。もちろん自分がその道で唯一のプロになるのだ、という気骨を持てるのならば素晴らしいと思う。

「好きなことをやれ」というのは正しい。しかし、それだけでは不十分ではないだろうか? 情熱、適正、収入の3条件を高い次元で満たすのが天職だと思う。「才能」という言葉を安易に使うのは気が引けるが、どれだけ好きでも向いていないこともある。それに適正があれば上達も早く、努力自体が楽しくなって努力だと感じなくなるので、やはりある程度の適性は必須だろう。情熱と適正という2つの要素を満たしていても、お金にならないことでトップになっても職業にはできない。

私は最初から会社勤めにはまったく興味がなく。放浪生活から帰国した後は少しだけ勤めて直ぐにフリーの翻訳者になった。そしてだらだらと「名盤を作る」という夢を追ってきた訳だが、写真を始めてたった2−3年でプロとして活動するようになった今ではなぜ成功しなかったのかよく分かる。悔しいが音楽に関してはシンガー・プレイヤーとしての適性が足りなかったと認めざるをえない。パフォーマーとしての自分の適性に早い時期に見切りをつけて、作曲とプロデュースに専念していればもう少し可能性もあったかもしれない。10年、20年と夢を追い続けるとやめるにやめられなくなる。「この山にこんなに時間を掛けて登ったのに、今さら他の山に登るの?」という考えが浮かんでしまう。

一意専心で遮二無二に3年やってまったく結果が出ない場合は諦めたほうが良いと思う。遮二無二にできない場合はそもそも情熱が足りない。極めてもお金にならない分野は、自分の時間を作りやすく且つあまり苦にならない本業を持って、気合の入った趣味にするのが良いと思う。

幸せって何さ?

国連が幸福度調査というのを実施したそうだ、上位の国のランキングは以下のとおり。

1.スイス
2.アイスランド
3.デンマーク
4.ノルウェー
5.カナダ
6.フィンランド
7.オランダ
8.スウェーデン
9.ニュージーランド
10.オーストラリア

ちなみに日本は46位で、最下位はアフリカのトーゴという国だ。何処だかよくわからなかったので地図で確かめたらギニアの隣だった。

何を基準にして「幸福度」を決めているのかというと、国民1人あたりの実質GDP(国民総生産)、健康寿命、人生選択の自由度、汚職レベルの低さ、寛容度を変数として割り出すそうだ。此処で言う寛容度は写真用語でいうラチチュードと同義語ではない。原文では以下のとおり。

The six factors are GDP per capita, healthy years of life expectancy, social support (as measured by having someone to count on in times of trouble), trust (as measured by a perceived absence of corruption in government and business), perceived freedom to make life decisions, and generosity (as measured by recent donations, adjusted for differences in income).

異文化、異人種、異なった価値観に対する寛容性の低さが原因で日本の順位が下がったのかと思ったが、慈善事業等への寄付に基づく指標のようだ。

ノルウェー、デンマークなど、北欧には長期滞在した。確かに平和で良い所だったが、住むとなると税金が高い。それに田舎なので若いうちは退屈かもしれない。首都のコペンハーゲンやオスロでもせいぜい浜松とか北九州ぐらいの規模だ。アイスランドなんて全人口が30万ちょっとなので、日本で言えば越谷市ぐらいの規模だ。国家としてアメリカや日本と同列に論じて良いのか些か疑問である。

とりあえず思いつくこのリストの最大の欠点は「治安」を全く考慮に入れていない点だろう。だからイスラエルが11位にきてしまう。あんな危険な国に住みたいと思う人が世界に何人いるだろうか? 治安を考慮にいれれば日本の順位は上がるし、オランダ、イスラエル、アメリカ辺りは下がるだろう。

徴兵制の有無も考慮に入れてほしいものだ。無理やり軍隊に徴用されて幸せですか? 軍隊で働きたいのだ、という人は志願すればいいだけ。強制力のある徴兵制度のある国の幸福度は大幅に下げるべきだ。

上記2点を勘案しても日本がトップに立つことはないだろうが、私は日本人で幸せです。生まれ育った国なので愛着があるのはもちろんだが、文化や歴史など数値化できない要素も大きいかもしれない。とはいえ、日本が幸せな国だとみなされるに越したことはないので、日本の寛容度をあげるべく少し寄付してみた。そういえば震災のときに赤十字に寄付て以来どこにも寄付していなかった。

http://worldhappiness.report/

http://www.afpbb.com/articles/-/3046325

プラシーボの力

ガチガチの理系人間が占いなどを頭から馬鹿にして否定するのを良く見聞きする。確かに迷信と言ってしまえばそれまでなのだが、それをポジティブな自己暗示に使えるのであれば、プラシーボ効果の有効利用といえるだろう。プラシーボ効果は科学的に実証された効果なのだから、有効に使わないのは勿体無い。

たとえば自由業でノマドの人間が、風水、九星気学、方位学などといったものを盲信して、「吉方位をとったのだから私の人生はうまくいく」と信じることができれば、これはプラシーボ効果の有効利用といえる。逆に自分の自由にならない転勤や出張が多いサラリーマンが、風水や気学などを信じてしまうのは危険だ。なにしろ凶方位のほうが多いので、ほぼ間違いなく凶方位を取る。そうするとネガティブな暗示がかかってしまい逆効果になる。

何かに挑戦するときに一番大切なのは「自分にはできる」とう自信だと思う。実績があれば自信を持つのは簡単だが、誰だって最初は初心者だ。ポジティブな自己暗示に役立つものならば、何を使っても良いから自信を持ってチャレンジしたほうが良い。自信がないのに挑戦するなんて、不毛で非効率的で時間の無駄だ。挑戦すると決めたら自信を持つことがとても重要だ。そして、その際にこの手の「迷信」が役に立つ。

とりあえずBGMはこれ。