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コモディティ化したスマホに続くイノベーションはこれだ!

「コモディティ化したスマホに続くハードウェアにおけるイノベーションはこれだ!」とは我ながら随分と大げさなタイトルを付けてしまった。が、この手の問題の答えに論理的な思考で行き着くことはできないのではないかと考えている。

イノベーションを起こす人を見ているとある共通点があることに気がつく、それは「自分がすごく欲しいけど、世界に存在しないものを作り上げる」ということだ。基本的に我々は成功者の話しか知らない。しかし、これがたとえば「自分はものすごく欲しかったけど、他に欲しがる人がいなかった」物を作ってしまった場合は、失敗に終わるだろう。

このようなイノベーションを実現する上で大事なのが、製品やサービスとしては存在しないが、今の技術で十分実現可能、という点だろう。これが不可能だとSFになってしまう。

では自分は何がほしいのか? PCやカメラについては仕事で使うので定期的に新しいものに買い換えるが、これらの製品も基本的にはマイナーアップデートの繰り返しで、それまでの延長線上にあるスペックの進化のために購入している。昔みたいにどうしてもほしいという感じではない。でもあるんです。自分は凄く欲しいけど、今の世界には存在せず、今の技術で実現可能でかつ商業的な需要も大きく、更に将来的に需要が大きくなるという物が!

もし自分が若くてエネルギッシュだったらこのアイデアで起業しますね。少なくとも起業を試みる。アイデアと行動力がある人が容易に資金を集められるようになってきている、というのは今の時代の凄く良い点だと思います。

でもこのアイデア、若いうちには絶対に思いつかなかっただろうな、とも思う。というのもですね。私、若いうちはとても目が良かったんですよ。学生時代の視力検査は常に2.0で、成人後も1.5を維持していた感じでした。でもね、最近老眼に悩まされているんですよ。45、6ぐらいからものすごいい勢いで進行し始めて今はiPhone 8Plusみたいなデカスマホでも老眼鏡がないときつい感じになっています。40代前半までは歳を重ねても数字が増えているだけで、自分がオッサンになったという自覚は皆無だったのですが、45ぐらいから様々な老化現象が一気に自覚可能なレベルに進行してしまって、ちょっと自信喪失っていうか、毎日一歩一歩棺桶に近づいているという実感を持たざるを得ないですね。

そして47のときについに老眼鏡を買ったんですよ。百均の商品ですが。1.0のやつ。いやぁ素晴らしいですねテクノロジーの力。文明の利器。見える! スマホの文字が見えるぞ! ツーか俺、ポンコツじゃん、って感じです。本当にね。精神年齢は変わらないのに肉体だけ劣化していくのってけっこう辛いもんです。

でもいままでずっとメガネを持たない生活を続けていたので、よく忘れちゃうんですよね。ちなみに遠い方の視力も今は衰えて1.0を切っています。免許の更新のたびに厳しくなっていって、前回の更新はギリギリだった感じ。次は眼鏡等の条件がついちゃうかな〜ってところまで進行しつつあります。

そうすると欲しくなるのがいわゆる遠近両用眼鏡というやつですが、これって、レンズの部位によって遠景と近景を切り替えるそうです。で、結局面倒くさいと。スマホを見るときはレンズの下の方しか使えないので、ちょっとした確認には良いかもしれないが、本を読んだりするには厳しい。

そこでやっと本題ですよ。イノベーション。遠近両用眼鏡2.0って言うんですかね。遠近が完全に切り替わる眼鏡ってどうでしょう。音声認識で「アレクサ遠」とか言うと遠距離用になる感じ。欲しいと思いません? 具体的には左右で2枚ずつ合計で4枚のレンズを使用します。これがガルウィングみたいに跳ね上がる。メカメカしくてかっこいい! 団塊ジュニア世代続々と老眼になっているので受けるんじゃないでしょうか? 

まさに少子高齢化の時代にふさわしい新製品だと思います。さらに中国も日本から約20年ほど遅れて少子高齢化の時代に突入するようなので、将来的なグローバル需要も大きい! 更に遠い将来になるとたぶん攻殻機動隊のバトーみたいに高性能義眼をマウントできるようになりそうなので、市場が盛り上がるのは今から数十年間でしょうけど、日本企業にとってチャンスじゃないでしょうか? こういうのって若いカリスマ的な経営者が起業して〜って感じの商品じゃないですもんね。日本企業向きです。ニコンは眼鏡のレンズも出しているようですし。光学と電子の両方に強いソニーやパナソニックにも良いかも?

と思ったら、なんと、次世代アイウェア「TouchFocusTM」という製品がすでに出ていた! ここまで書く前になぜググらなかったんだ、俺は! まぁ、もう書いちゃったから仕方がない。音声じゃなくて、指でタッチして切り替えるようですが、既存の遠近両用メガネよりは良いかな。使ってレビューしてみようかな、と思ったら25万ですか、そうですか。70-200mm f2.8新品って感じのお値段ですね。現時点ではちょっと手が出ないなぁ。。。

https://www.touchfocus.com/

ピエール瀧がコカインで逮捕された

ピエール瀧と言えば電気グルーヴのメンバーでクリエイティブなことは卓球とまりんがやってお祭り担当の人というイメージだったが、最近は役者としてブレイクしているようだ。私も彼が出演している作品をいくつか見たが、良い役者だと思う(今Wikiでざっと調べてみたら作詞などもしていたようです)。

日本の場合は覚せい剤で捕まる人が多い。もともと日本軍が開発したヒロポンが元になっているので、日本人は愛着があるのだろう。時代が変わって今では違法だが、もともとは日本国政府が国民を効率の良い殺人機械にするために作っていたものだ。だが、彼は同じアッパー系ドラッグでもコカインで捕まった。

コカインを愛用していた有名人は多いが、私がまっさきに思い出すのはコナン・ドイル。コナン・ドイルがコカインを摂りながらシャーロック・ホームズを書いていたのは有名な話だ。当時はまだ中毒性などについては明らかになっておらず、合法だったはずだが、コカインがなければあの不朽の名作もなかったのかもしれない。

コナン・ドイルがコカインをやらず、シャーロック・ホームズも生まれなかった世界と、コナン・ドイルがコカインをやって、シャーロック・ホームズが生まれた世界、どちらが良いでしょうか?

個人的にはアーティストや役者が良いパフォーマンスを発揮して、世界を豊かにしてくれるのであれば、ドラッグなんて何をやってもまったく気にしない。もちろんドラッグを取ることによって、凶暴になって傷害事件を起こしたりするならば、取り締まる必要がある。

私は自分の権利が侵害されないのであれば、他の人が何をやっても気にしない。コカインだろうとヘロインだろうとスピードボールだろうと好きにすれば良い。その結果廃人になるとしてもその人の自由だ。

酒井法子が日本中から叩かれていたときもまったく理解できなかった。ドラッグを摂取して踊っていただけで、ドラッグを摂取して他人の家の窓を割っていたわけじゃないでしょ? まったく迷惑を受けていない人たちが、ものすごくヒステリックに反応していて驚いた。

一方で私は暴走族などのように直接的に自分の静かな生活を破壊する者には寛容になれない。だが、どうやら日本における一般的なコンセンサスでは、マリファナを吸って自分の部屋でピンク・フロイドをヘッドフォンで聴いている人のほうが、素面で騒音を撒き散らし交通を停滞させる暴走族よりも悪人らしい。まったく理解不能だ。

日本人のこの感覚はなんなんだろうか。究極の横並び体制。自分が経験したことがないフィーリングを他の日本人が経験することは許せない、という感じなんでしょうか。だったら未来永劫まともなリーダーなんて出てこないよね。「違う」こと自体が許せないんだから。「平凡」な人間しか残らない。

日本は未だに家族主義と個人主義との間の中途半端な位置で停滞しているが、長い目で見れば日本でも若い人の間ではリバタリアン的な個人主義が広がると思う。最近の若い人は自分が若い頃のような人が多い。つまり個人主義が一段階進んだのだろう。

e-Tax ID・パスワード方式の罠

別に反体制とか公務員が嫌いだとかそういうことはありません。が、一連の税務署とのやり取りには失望させられました。

今年からID ・パスワード方式というものが採用され、税務署まで行って本人確認すれば、インターネットから簡単に申告ができるようになる。という触れ込みだったので、早速最寄りの税務署(と言っても田舎なので30km以上離れている)まで行きました。

税務署に置いてあったWindowsのノートパソコンで入力したのですが、MACに慣れているので微妙に入力しづらい。入力が終わったものをプリントアウトして見せてもらった時に、自分の名前を誤変換していたことに気がついて、修正を要求したら若い担当者は対応不能なようで上司を連れてきた。

すぐには修正できないが一週間以内に修正して知らせる、とその上司が言うので、正しい名前と連絡先を告げて帰った。

この段階ですでに気になることがいくつかあった。申告フォームに記入中に担当者が後ろでずっと見ているのだ、しかも設定中のパスワードはアスタリスク(*)ではなく、そのまま出てくる。背後で人が見ている状態でパスワードを入力してもパスワードの意味が全く無いので、私が彼に見ないように指示をした。こんなの常識ですよね?

また本人確認もちゃんとしていない。一応マイナンバーカードも持っていってノートパソコンが置いてある机に置きながら作業したが、手にとって確認することはついぞなかった。あれじゃなりすましも可能なんじゃない? セキュリティ感覚の欠如が激しく、この段階ですでにこんな制度を使って大丈夫なのか? という疑念が湧いてくる。

一週間ほどして、例の上司から電話がかかってきた。「登録情報は修正できないが、申告書の名前は直しておいた」と言う。申告書が何を意味するのか不明なので、「じゃぁそれで納税手続きをしても問題ないんですね?」と質問しても、「申告書の名前は直しておいた」の一点張りで要領を得ない。どうやらこの人もよく理解できていないようだが、システムに登録された情報自体の修正は本人が行わないとならないようで、もう一度わざわざ大月まで行かないとならないらしい。

要するにこの税務署にはこの新制度をきちんと理解できている人が一人もいないのではないか? という疑念がわく。とりあえず今年は例年通り紙で申告することにしました。ちょっと恐ろしくて発行されたPWとIDは使えない。本人確認もせずに本名と違う名前で登録されてしまったままで直せないのも気分が悪い。

そして驚きなのがマイナンバーを申告書に同封しないとならないということ。郵送の途中で誰かが見ることもありえます。マイナンバーは人に見られないようにと言いながら、このような穴だらけの運用をする。郵送する際に厳重に封をして追跡サービスを利用すればリスクは減るだろうが、結構高い。

仕方ないから完成した書類は郵送ではなく直接届けに行って、ついでに登録情報を直そうと思う。遠いけどね。

そもそもなんのためのマイナンバーなんだろう? マイナンバーも入力して、タイプした個人情報と照合し、両者の間に違いがあればエラーが出るようなシステムにすれば、そもそもこんな問題起きない。

全国で何人ぐらいの人が間違った個人情報で登録されてしまったのだろうか?

P.S. 本日税務署まで行って紙の申告書を提出してきた。「本人がログインして訂正する必要があるという意味で、また来てくれとは言っていないが、上手く伝わらなかったようだ」と税務署員は言い張った。大嘘だ。証拠が残るように連絡は電話ではなくメールでしてほしい。いちいちゴネるのも面倒なのでおとなしく帰ってきたが、不信感が増した。

スマホのメモリも多めなことだし、通話内容を全部録音するアプリを入れておくかな。

田舎暮らしは本当に悪夢なのか?

恐怖の実話!悪夢と化した「夢の田舎暮らし」という東洋経済オンラインの記事がプチ炎上しているようだ。東洋経済オンラインとしてもアクセスを集めたほうが広告収入が増えるだろうから、わざと極端な事例を取り上げてセンセーショナルな見出しを掲げているのだろう。ビジネスだからある程度は仕方がない。が、実際に東京都から山梨県に引っ越してきた身としてはちょっと釈然としない点もあるので、自分の体験談と考えを書いておきたい。

私が富士北麓に住んで5年が経過した。なんだまだ5年か、と思うかもしれないが、自由業の気楽さから、私は飽きるとすぐに住居を変えてきたので、5年間同じ地域に住むのは珍しい。富士北麓に引っ越してくる前は新宿に住んでいたし、その前はイタリアのローマに住んでいた。現時点ではこの地域での生活を気に入っていし、満足もしている。

たぶんこの問題は、小さな子供がいるのか、地元で就職する必要があるのか、という点が重要なファクターになると思う。私のようにもともとが翻訳者で写真家およびビデオグラファーとしても収入を得ている自由業者で、しかも子供がいない場合、地元との接点は限りなくゼロに設定できる。あるいはSNSや趣味等を通して知り合った同じ地域の住民とゆるく付き合う程度で問題ない。ちょっと特殊なケースなので、参考にはならないかもしれない。つまり私の場合は、本質的にどこに住んでも大差ない。

でもこの記事を読んだ人が山梨県全体に対してネガティブな感情を抱いて、移住先から除外してしまうようだとちょっと悲しい。少なくとも私の経験の範囲内では嫌なことは殆どない。強いて言えば冬の寒さが厳しすぎるのが嫌だが、夏が涼しいので仕方がない。

あまり地元の人達との接点はなかったが、例外として大家さんがいた。この東洋経済オンラインの記事の人はろくに調べもせずに地縁もない場所にいきなり家を買って、それでうまくいかないと不平不満を漏らしているようだが、どうなんだろう? ちょっと慎重さが足りないんじゃない? 私はとりあえず賃貸を借りましたが、正解だった思います。

富士吉田では大明見地区に住んでいました。ここは昔は独立した町だったそうです。富士吉田界隈に詳しい人はわかると思いますが、吉田の中でも周辺部で上吉田・下吉田あたりよりもより田舎度が高い地域です。大家さんはそのあたりの旧家だったのですが、そこでワンックション入ったおかげで、地元の面倒な用事はまったく入りませんでした。消防団も近所に建物があったけど、まったく勧誘もされなかったし、ゴミも普通に捨てられたし、特に大きな問題はありませんでした。

たぶん祭りとかに積極的に参加したい人とかは寂しいんでしょうが、無理ですよ。そんなの。大船駅の近くのギリギリで横浜市栄区内に住んでいた頃、地元神社の祭りにちょっと顔を出したことがありましたが、そこですら完全によそ者扱いで疎外感を感じるような状況でした。温かくコミュニティに迎え入れてもらいたいけど、いろいろと面倒な義務を負うのは嫌だってのは勝手すぎるでしょう。面倒なのなしが良いです。

大明見の生活での唯一の問題は暴走族。毎朝必ず家の前の交差点で爆音をふかしていました。それだけは本当に嫌でしたね。冬場になると路面が凍るので来なくなるのが救いでしたが、その分寒かった・・・ 彼らの徘徊ルートとか住んでみないとわからないですから、とりあえずは賃貸がいいですよ。田舎には暴走族がつきもので、親子二代ってのが普通ですから。自分の子供の中学校の卒業式のために特攻服を親が用意したとかいう話も普通にあります。東京から来た人間の感覚では極めてダサいのですが、彼らは未だにかっこいいと思っているようで、この調子で行くと、3代、4 代・・・と代を重ねて歌舞伎のような日本の伝統になってしまうかもしれません。

その後は山中湖村の別荘地に引っ越しました。結局、別荘地に落ち着いた、という点ではこの人と同じですね。家の場合は知り合いに別荘送を売りたがっている人がいて、一年ほど賃貸で住んで、購入を決断した場合はその間の家賃を頭金にするという条件で借りました。とりあえず賃貸で住んでいる間に地元での情報網を作り上げておくと、こういうお得な話もみつかります。賃貸で気をつけるのは入居前にしっかりと写真を撮っておくことですね。この地域では容赦なく敷金プラスアルファを請求してくるケースがけっこうあるようです。

で、別荘地での住心地はどうかというと、更に良いです。本当に自然の中だし、ゴミは24時間何時でも出せるし、管理費もそれほど高くない。山中湖村は富士吉田より更に寒いので冬の暖房費で3万円以上かかるのは普通ですが、トータルで考えるとかなり快適です。なによりも嬉しいのは、暴走族や選挙カーが侵入してこないこと。一番の騒音は北富士演習場から聞こえる砲撃の音ですが、個人的にはあまり気になりません。山中湖村の別荘地も湖の北側ではもう少し静かだと思われます。が、坂がこちら側よりも厳しいので、冬場はジムニー必須かもしれませんね。家のあたりだとハスラーでもなんとかなります。

だらだらと書いてしまいましたが、まとめるとこうなります。

・まずは賃貸で住む。

・別荘地または新興住宅地に住む。

常識的に考えて、限界集落になんの縁もない人間がいきなり入っていって、うまくいく筈ないですよね。文化人類学的な好奇心が強い場合は別ですが。上の2点に留意すれば田舎暮らしって結構簡単だと思いますよ。なにしろ今はアマゾンがありますから、まったく不便を感じません。

 

10万年の憂鬱

10万年・・・ ギャグだとしたら秀逸だと思ったがどうやら本気らしい。ホモサピエンスが現生人類に進化したのが20万〜10万年前、ネアンデルタール人が滅亡したのが2万数千年前。人類が文字を発明してからまだ6000年ほど。
 
300-400年は電力会社に管理させるとのこと。へぇ、400年後も既存の電力会社が存在してるんだ。ちなみに400年前って徳川家康が死んだ年です。荒唐無稽とはまさにこのこと。
 
管理って具体的になにするんでしょう。「ここは掘らないでね」って看板が置いてあるだけだったりして・・・

アメリカの軍需産業にしてもそうですが、巨大利権は止まりません。ついにリニアの工事が始まり南アルプスに穴を開けることになりました。リニアの消費電力は新幹線の3倍ですから、下手したら原発は増えるかも知れませんね。

ホモサピエンスがまともに地球を統治できるようになる日は来るのでしょうか? 正直言ってほとんど期待できないような気がします。より進んだ種が現れない限り、40億年続いた生命の歴史も我々が原因で終焉を迎えるかもしれません。

最低賃金、全国平均823円

<最低賃金>時給、初の800円台 16年度全国改定」という記事が出ていた。

上がること自体は良い。けど、まだまだ安すぎるよね。昔の日本は旦那が正社員で、奥さんは専業主婦、子供に手が掛からなくなったらパート、みたいな社会だったから、低めの最低賃金でも良かったけど、今はフルタイムの非正規雇用者も多いし、どんどん増えていく傾向にある。823yen x 8hrs  x 20daysということは月に131680円。ここから所得税、住民税、国民年金、健康保険が差し引かれると最早生きていけない。週6日勤務して、毎日1時間残業すれば、190319円ほどになり辛うじて生きていけるだろうけど、自分の時間がなくなる。向上心のある人が空いた時間を費やして、資格を取ったりスキルを身につけて貧困から抜け出そうとするのもままならない。

順位を見ると一位が東京都の932円で、二位が神奈川の930円、以下はちょっと離れて大阪、愛知、埼玉、千葉、京都、兵庫、静岡と800円台がつづく。家賃に関しては地方が圧倒的に安いのだけど、ガソリン代とかスーパーの小売価格は東京の郊外や埼玉・千葉・神奈川の東京よりのほうが安い(都心は高い)。交通費が支給される場合は、埼玉南部や千葉の西部に住んで東京に通うのが一番コスパが良いのかもしれない。

貧富の差が激しくなれば、治安が悪くなるし、極端な右傾化にも拍車が掛かる。最終的には富裕層も困ることになるだろう。アメリカではバーニー・サンダースが最低時給15ドルを公約に掲げて旋風を巻き起こしたけど、日本もせめて1,000円ぐらいにしたらどうでしょう? 企業の都合で非正規雇用を増やすのならばせめて最低賃金は上げるべきだと思います。

無関心のすすめ

「愛の反対は憎しみではなく無関心」って言うけど、何か一つのことに没頭すると他のことは無関心になっちゃうよね。個人的には憎むぐらいなら無関心でいたい。適度に無関心になって距離をとる事が相容れない人と共存する道だと思う。批判されてもムキにならずに柳に風、そういうふうに生きていきたい。実際には修行が足りないので、批判されると脊椎反射で怒っちゃうんだけどね。でも性格的に怒りが持続しないようにできているらしく、長期に渡って憎しみを募らすようなことはない。

そもそも全ての存在を平等に愛するなんて私には不可能だ。それは多くの人にとっても同様だろう。だが、もし嫌っている人に対して0の愛を与えて無関心を貫き、本当に好きな人に対して大きな愛を与えることができたら、誰も憎まずに生きていける。これならば可能なんじゃないだろうか? まぁ、流石に最愛の人を惨殺されたりしたら無理かもしれない。でもそんな劇的な人生を送っている人は日本ではごく一部だろう。

もし人類の大部分がこうやって何も憎まずに憎む代わりに無関心になれば世界は平和じゃないか。ネットに溢れているヘイトには些かうんざりする。みんなちょっと簡単に人を憎み過ぎじゃないか? LOVE&PEACEを掲げておいて自分と違う思想の人を攻撃する人も散見する。そんなもんLOVE&PEACEじゃないだろう。

私を嫌いな人は私を無視すればいいし、私も嫌いな人を無視すれば良い。合わない人というのは必ずいる。相容れない思想というのも必ずある。憎んで殺してやろうとか思ったほうが愛に近いなんてあるわけ無い。そもそも全人類が同じ価値観や思想で統一されることはないだろうし、もしそうなったら愛の名を語った全体主義による恐怖政治が実態だろう。違いを楽しむ心の余裕がほしい。

世界を良い方向に変えようと思って批判するのは愚策だ。むしろ批判の連鎖が負のスパイラルを起こして世界は悪化する。批判するよりは無関心。人のポイ捨てを批判するならば自分でゴミ拾おう。韓国や中国を批判することを愛国だと勘違いしている人が多いように感じるが、本当の愛国というのは他国の批判ではなく日本の社会への貢献だろう。中国の軍事パレードに参加する自称平和主義者と同じぐらい嘘っぽい。私には偽愛国者と偽平和主義者の鍔迫り合いに見える。おっとこれは批判っぽいな。まだまだ修行が足りない。

人生は短い。嫌いなことを考えている時間を減らして好きなことを考えている時間を増やしたい。私もついつい批判したくなっちゃうことがあるので、これは自戒の念を込めて書いてみた。

Delayed GratificationとInstant Gratification

高年収層は便意我慢する傾向

便意を我慢する人のほうが平均年収が高いというような論旨の記事が出ていた。最初は馬鹿げた話だと一笑に付していたが、どうも気になる。はずがしながら最近だいぶトイレが近くなってしまったのだ。このまま行くと収入がどんどん下がってしまうのではないかという、恐怖心に駆られてこの事についてちょっと考えてみた。

Delayed gratificationというのは心理学の用語で「将来のより大きな成果のために、自己の衝動や感情をコントロールし、目先の欲求を辛抱する能力」という意味である。脳科学やポジティブサイコロジーの洋書を読んでいると頻出する単語なのだが、Wikiの日本語ページも無いし、英辞郎にも載っていないところをみると、どうも日本語訳がまだないらしい。

反対の意味の言葉はinstant gratificationになると思う。つまり「将来のことを考えると好ましくないのだが、自己の衝動や感情をコントロールすることができずに、目先の欲求に負けてしまうこと」になるだろう。instant gratificationの追求が極端にひどくなると衝動制御障害 (ICD (Impulse Control Disorder)) と呼ばれる精神疾患を患い、放火、窃盗、病的賭博などの反社会的行動を取るようになってしまうという。

偉人でもなければ精神疾患者でもない一般庶民の大多数は、instant gratificationにしばしば負けつつも、生活が崩壊するほどは負けていない人たちだと思う。たとえばジャンクフードの誘惑にしばしば負けて自分の理想とする体重よりもだいぶ重くなってしまっているとか、ついついリボ払いでクレジットカードを使ってしまい、貯金が一向にたまらないとか、健康を考えると煙草をやめたほうが良いのは分かっているが、どうしても禁煙できないとか、そういう人は多いと思う。

かくいう私ももう少し痩せたいと思いつつBMI27程度のプチ肥満状態が続いている。やはり一番の原因は小腹がすいたらすぐにジャンクフードを食べてしまっていることだろう。つまりinstant gratificationに負けているのだ。

私が自分の人生で一番痩せていた時期というのはインドにいた時期で、思えば当時は修行モード全開だった。断食はもちろん便意や尿意も極限まで我慢していた。あまりやり過ぎるのも、栄養失調や膀胱炎などのリスクがあって問題だと思うが、健康に問題ない程度に行う分にはdelayed gratificationを追求する上での訓練になるかもしれない。

トイレに行くことができずに不本意ながら尿や便を限界近くまで我慢した経験がある人はわかると思うが、あれは我慢している間は大変苦しいのだが、そのぶん放出するときの快感もまた大きい。

もちろん、便意を我慢することと収入との間に直接的な関係は無いと思うが、この習慣によりdelayed gratificationを追求する能力が向上する可能性はあると思う。そしてdelayed gratificationの適用範囲はこのような身体的な欲求に留まらない。

たとえば、医者になりたいので同級生たちが遊び呆けている間に勉強して、医者になってから高収入と社会的なステータスの高さをエンジョイするとか、同僚が通勤途中にスマホゲームで遊んでレアカードをゲットしようと夢中になっている間に、同じ時間を読書や資格勉強に費やして自分自身をレアな人材に育て上げるとか、そいうこともdelayed gratificationの顕れなのだ。だからdelayed gratificationを追求する能力を仮に「DG能力」とすると、便を我慢する習慣がある人は知らず知らずのうちにこのDG能力を強化していて、結果として高収入に繋がっているのかもしれない。

その一方で、大衆がinstant gratificationを求める傾向は年々加速しているようにも思われる。ジャンクフードやインスタント食品の氾濫は言うまでもないが、音楽にしてもヒット曲はイントロや間奏をできるだけ短くして、一番美味しいサビを1分以内に聴かせるようなものが多い。最近のテンポの良いハリウッド映画に慣れてしまうと、過去の名作を見ても途中で手持ち無沙汰になっていらいらして貧乏ゆすりをしてしまったりする。ベストセラー作家の東野圭吾の小説なども素晴らしくテンポがよく、文章の味わいを追求したり、情景描写に余計な文言を割いたりせずに、読者に素早く次のシーンを提供していく。手軽にできるブラウザゲームやソーシャルゲームの流行などもその一例と言っていいだろう。

そう考えると、自分の人生においてはdelayed gratificationを追求しつつ、自分の創作物や自分が提供するサービスは人々にinstant gratificationを提供するというのが、現在の世の中における成功の方程式なのかもしれない。

まぁ、私の人生にはちょっとdelayed gratificationが足りないと思われるので、ちょっとエクセサイズしてみようかと思う。とりあえずトイレにいくのを我慢しながらこの原稿を書いてみました。

“Delayed gratification is the key to success but make sure that your creations or services provide people with instant gratification.” – Yuga Kurita

『やばい』は褒め言葉らしい

「やばい」は褒め言葉? =「婚活」「イクメン」も9割浸透―国語世論調査・文化庁

『やばい』を素晴らしいというような意味を込めて、ポジティブな形容詞として使用する人が、全国民の約25%、20代では約8割、10代ではなんと約9割と若い世代では完全に定着しているらしい。

若い奴等やばい!

と思わず、40代の私としては残り75%の方の定義で呟きたくなるが、言語は生き物だから仕方ないのだろう。何を見ても『かわいい』という形容詞で済ませようとする女にもいらっとさせられるが、そのうち日本語の口語で覚える必要がある形容詞は『かわいい』と『やばい』だけになったりして。そうなったら外国人が日本語を学習するのはだいぶ楽になるね。

なんとなく、ジョージ・オーウェルが小説1984に書いた『Newspeak』的な方角に自主的に向かっているようで、日本は各個人が自主的に没個性的な人間になる全体主義社会なのではないかなどという憂慮すら感じてしまう。が、英語圏でも『awesome』のような元々宗教的な響を持った言葉が『plusgood』みたいなノリで使われるようになって久しいし、ある面グローバルな現象なのかもしれない。強権的な政府が恐怖と暴力を駆使して行う全体主義とは違う、民衆が自主的に自主性を放棄した全体主義みたいなものが出現するのかもしれない。

しかし、これだけネットが普及した社会で、言葉の意義がこんなに綺麗に世代で別れる事実は瞠目に値する。昔はTVなどのメディアが圧倒的な存在感で支配していたので、日本人の没個性的な傾向は、意図的に流行を創始して消費を煽るメディアによるところが大きいと思っていた。が、若い人のほうがTVを見ている時間は短いらしいので、一概にそうは言えないのかもしれない。

デジタルネイティブ世代といっても定義が色々あるようだが、物心ついた時から携帯電話やスマートフォンを持っていて、メール、SMSメッセージ、SNSなどで常に他人とつながってコミュニケートするのが当然だという世代は、良くも悪くも没個性的になって、価値観などを共有しやすく、強固な集合的無意識を形成しやすいのかもしれない。『talking ‘bout my generation』などと歌う必要のないぐらいの阿吽の呼吸で意思を疎通しているのかもしれない。

まぁ、若い子とあまり話してないので、かなり的はずれな意見かもしれません。単なる思いつきでございます。とりあえず、『やばい』のこの定義は、他の世代には通じないという自覚を持っていただければ、それで結構です。

南アルプストンネル着工について思うこと

JR東海、リニアを本格着工 大成建設など最難関の南アルプストンネル施工へ

何度か撮影のために登っているので南アルプスには愛着を感じる。本州最後の秘境といったところで、ここに巨大なトンネルを掘ってリニアモーターカーを通すという。記事には25kmと書いてあるが、ほとんど切れ目なくトンネルが続くので実際には3本のトンネルの総延長は52kmになる。

山梨に設置した実験線の工事が原因で地下水が枯れたことが問題になったが、これが通ったらどんな事が起こるのか誰にも予想がつかないだろう。残土の処理はかなり絶望的で、計画によると二軒小屋までダンプを入れて運ばせるつもりらしい。実際に登山などで南アルプスに行ったことがある人ならご存知だと思うが、二軒小屋というのは大変な秘境である。畑薙ダム横の沼平ゲートより先の林道は一般車が通行できない。私はこの林道を椹島まで歩いて赤石岳に登ったことがある。ダム関連の車や東海フォレストの車だけが通るのだが、ところどころ崩壊しかかっていてとてもではないが10t級のダンプが通れるような道ではない。そんな林道を30ー40kmほど北上したところが二軒小屋だ。ということはこの林道を数十キロにわたって工事して、ダンプが通れるようにしてからでないと二軒小屋を拠点にした残土処理はできないということだ。

その林道の整備工事だけでも既に未曾有の環境破壊だと思うのだが、そこから本番が始まる。JR東海の計画によると、大量に発生する残土で2000m級の渓谷を埋め立ててしまうつもりだという。この自然破壊の凄まじさは、辺野古などの比ではなく日本建国以来群を抜いて最大ではないだろうか。しかしながら何故か日本の知識人の多くは沖縄については大騒ぎするのに、南アルプスについては傍観している。

ものすごく便利になるというのならばまだ分かるが、実際にはかなり深い地下を走るのでドアトゥドアで考えるとたいして変わらない。1駅ぐらいだったら大江戸線に乗るのが馬鹿らしいのと同じだ。品川・名古屋間は現在のぞみで最短1時間30分だが、これが40分になるという。確かに速いように思えるが、これはあくまでも乗車している時間だ。そこから地上に出たり在来線に乗り換えるのに新幹線より余計に時間がかかる。今現在、品川駅から新幹線に乗っている人にとってはそれでも少し魅力的かもしれないが、乗り換えの手間や時間を考慮すると、東京駅や新横浜駅から新幹線に乗っている人にはメリットは殆ど無い。

大地震で東海道新幹線が使えなくなった場合のバックアップとしての機能も建設の大義名分だが、日本最大の活断層があるフォッサマグナが通った南アルプスのトンネルは大地震の際には同時に破壊されてしまう可能性もかなり高いだろう。バックアップなら北陸新幹線を充実させたほうが合理的なはずだ。

更にリニアという技術は既に時代遅れだという意見もある。消費電力が新幹線よりもずっと多く3倍ほどの電力を消費するという。どう贔屓目に見積もっても既存の新幹線よりも遥かに消費電力が大きく、その割にはたいして速くならない。かなり効率が悪い技術で、時代の流れに完全に逆行している。増えた分の消費電力をどうやって補うのかというのも不明瞭で、原発の再稼働や新規建設が結局必要になってしまうのではないかと懸念する。

そもそも事業として採算がとれる可能性が極めて低い。日本の人口はどんどん減っていくのに、リニア新幹線は東海道新幹線と減っていくパイを食べ合う。そして両方共経営するのはJR東海なのだ。今は優良企業のJR東海だが、分不相応なリニアの工事で莫大な借金を抱えることになるので、リニアが開通する頃には倒産の危機になっているかもしれない。KATSUMIがIt’s my JALと歌ってた頃の日本航空は超優良企業だった。その場合のツケは国民にまわってくるのだろう。公金による救済。結局、税金で作るのと変わらないという話になる可能性は高い。

一番の問題は国民的な議論が全くされていないのに、なし崩し的に工事が始まってしまうという点だ。たぶん多くの人はリニアが通って便利になるなら良いじゃないという感じで、メリットとデメリットを冷静に分析している人は殆どいないのだろう。かくいう私も南アルプスに登るようになって、初めてこの問題に興味をもった。最初は山梨にリニアの駅ができたら便利になるかな、などという素朴な感想だった。ちなみにこれも各駅停車のリニアは1時間に1本程度の予定なので途中駅がある神奈川、山梨、長野にとってはたいして影響なく、地方経済活性化の切り札になるとも思えない。少なくとも私の住んでいる富士吉田市から新宿に行くなら今までどおりバスに乗ったほうが遥かに便利だ。

さんざん理屈を述べてきたが、南アルプスに登って壮大な悪沢岳の山容を眺めていると、理屈ではなく感覚的にこの山に穴を開けるのは絶対に間違っているという気持ちが湧き起こる。昔の日本人は自然を神として崇めたが、いまの日本人には自然を畏敬する心が無いのかと思うと残念な限りだ。

もちろん私だって現代文明の恩恵を受けて生きている。車にも乗れば電気も使う。そりゃ便利な方がいいに決まってる。しかし、リニア新幹線に関しては、少しだけ便利になるために支払う代償があまりにも大きく割に合わないと感じる。便利なだけでなく、より自然と調和した持続可能な社会を日本には目指して欲しい。